衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月30日    火曜日     第3開示 合計1477開示

金剛経唯識深義(一三〇)

原文:須菩提よ。もし汝がこのように思うならば、阿耨多羅三藐三菩提心を発した者は、諸法は断滅であると説く、と。決してそのような思いを起こしてはならない。なぜならば、阿耨多羅三藐三菩提心を発した者は、法において断滅の相を説かないからである。

釈:世尊は須菩提にこう説かれた。須菩提よ、もしお前がこのような考えを抱くならば、すでに阿耨多羅三藐三菩提心を発した者が「一切の法は断滅空であり、もともと何ものも存在せず、成仏の時にも一切の法はなく、一切の法相を具足しない」と説く、と考えるならば、速やかにそのような考えを滅ぼし、そのような思想観念を持ってはならない。なぜそのような思想観念を持ってはならないのか。阿耨多羅三藐三菩提心を発した者は、断滅しない実相心があることを信受してこそ、成仏の心を発起できるのであり、決して「一切の法は断滅である」とは説かないからである。

真に成仏を願う心を発した者は、この時すでに十信位の菩薩としての条件を満たしており、あらゆる衆生に不生不滅の真実心である如来蔵が存在することを確信し疑いを持たない。彼は十方の諸仏に真実心である如来蔵が存在し、この如来蔵に依って修行することで初めて阿耨多羅三藐三菩提を成就できると信じている。また自らにも如来蔵が存在し、将来必ず如来蔵を証悟し、諸仏と同様に成仏できると確信している。十方世界の衆生もまた不生不滅の金剛心である如来蔵を持つゆえに、全て成仏できると理解している。このような信心を生じたことで十信位を満たし、十住位に入って六度の菩薩行を修行し始めるのである。もし自身に如来蔵が存在することを信じず、如来蔵が実在すると信じなければ、彼の仏・法・三宝への信心はまだ満たされておらず、十信位の修行も具足していないため、真に成仏の道心を発起することはできない。

十信位を満たしていない者は、なお如来蔵が実在すると信じることができず、往々にして如来蔵は単なる仮名・概念に過ぎないと考える。彼らは如来蔵の空を如来蔵の非存在と同一視し、如来蔵という概念は諸仏が方便として仮に説いたものだと考える。仏の説かれた真意を正しく理解できないため、仏が説かれた究極の了義法を全て「仏の方便説・方便法」と誤解してしまう。彼らは公然とは「仏が衆生をからかっている」とは言わないが(一般の者も公然とは言えない)、実質的にそのような意味である。この考え方は仏法を謗る行為であり、仏の一切の了義究極の説法を「仏の不了義・不究竟の法」と見做すことで、仏の真実義を甚だしく歪曲している。衆生が仏法を謗る悪業が普遍的に存在するのは、衆生が歴劫にわたる修行の時間が短く、福徳が不足しているためである。

——生如法師の開示
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