問:日常生活において意根を見出し体験することは可能でしょうか。例えば、皮膚が痒い、空腹、喉の渇き、暑さを感じる時、あるいは何かを強く望む時、最終的に決定を下すのは意根の働きです。この時意識は意図的に実行を控え、敢えて遅延させます。その間、意根が何を為し何を思うかを観察します。畢竟、意根には実行の是非を決定する意志が存在するからです。これが意根の痕跡、源、あるいは来歴を探求する方法です。このような修練を続ければ、やがて意根を証得できるのでしょうか。
答:意根は刹那に決定を下し、つまり主宰します。痒みを掻く決定、食事する決定、水を飲む決定、風に当たる決定、何かを為す決定。何事かが実行されたなら、それは意根の決定と指揮によるもので、ここに意根を見出せます。もし意識が意図的に意根の指令を実行せず、意根の反応を観察すれば、意根の心行と習性の慣性を理解できます。意識が意根の指令を実行しない時、同時に意根の「暫く某事を為さず」という指令も存在します。何故なら意識は如何なる状況でも主宰できず、為すことと為さざることは全て意根が決定し、意識が意根の行為に従わないこともまた意根が同様に決定するからです。
ここからまた、意根が時に意識の決定に従う場合があることが分かります。完全な独善でもなく、一方的な専制でもなく、軍国主義的な支配思想でもありません。意根は刹那毎に各事象において主宰し決定を下します。この特性から意根の痕跡を見出し、遂に意根を証得することができるのです。
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