初地の菩薩に至るまでは、煩悩を断じておらず、なお微細な煩悩が時として現行することがあります。深刻な場合には比較的大きな悪業を造作することもあり、このような重大な悪業は仏法の修証に関する事柄に関わります。世俗法における大悪業、例えば殺人や放火などは、通常は造作するものではなく、我見を断じていない者も、仏法を学ばない者も、このような大悪業を造ることはありません。
初地以前の菩薩が比較的造作しやすい悪業は、およそ仏陀の修証の目標や軌道を変更すること、説かれた法義が仏意に沿わず、仏の教法を歪曲して衆生の法身慧命を誤らせることなどが挙げられます。また相互に物事を争奪する心や嫉妬心がなお存在し、誹謗の業を造作することも可能です。
この点に関し、幾つかの経典には菩薩の造作する悪業の因縁果報が記されており、その果報もまた甚大なものと説かれています。
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