単に意識で悟りの境地を証得したと認めるならば、当グループの半分に満たなくとも三分の一は意識による証得を経験しているはずです。もし私が直接指導すれば、四分の三あるいは五分の四が意識で証得するでしょう。それに唯識グループのメンバーを加えれば、少なくとも一二千人が意識で証得し、五、六千人でも不思議ではありません。
単に意識で明心したと見なすならば、私が大会を開いて如来蔵が具体的にどのように作用するかを宣言すれば、すべての人の意識がそれを理解し、否定しない者は皆、明心して悟りを開いた菩薩となるでしょう。そうなれば、この世界は仏陀の時代ほどの壮観には及ばないまでも、ほぼ同等と言えるでしょう。
今やグループ内の多くの人々が意根の教義を弁別できるようになり、唯識に関する智慧も決して低くはありません。もし意識による証得が認められるならば、当グループには今すぐに唯識の種智を備えた地上の菩薩が多数存在するはずです。二十年後には千八百人の地上菩薩を育成することも、さほど難しいことではありません。しかし、仏法の修行と証得は本当にこのようなものなのでしょうか?本当にそんなに容易いのでしょうか?口伝えだけで悟りを開けるのでしょうか?
現在、仏教界でなぜ整頓が行われているのか、智慧ある者は理解すべきです。表面的には世俗世界の行為に見えますが、実際には仏陀はとっくに現在の仏教界の状況をご存知でした。仏陀が対策を講じないはずがありません。仏陀の背後での護持を、衆生は気づかず、ただ表面的な現象だけを見て、背後にある真の原因を知りません。仏教界の動乱のたびに、実は内部に重大な問題が生じたために、外部の動乱を招いているのです。諸仏菩薩と護法竜天は皆、これをご存知です。
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