衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年05月03日    金曜日     第2開示 合計1488開示

煩悩心所法

根本煩悩:貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の六つの心所法である。これら六つが根本煩悩と呼ばれる理由は、この六つの根本煩悩によって一切の煩悩が引き起こされるからである。根本が滅すれば、後の二十の随煩悩、あるいはそれ以上の随煩悩は次第に滅していく。ちょうど根が断たれると、枝や幹、葉はその後滅び、長く存続できないのと同じである。

大随煩悩:不信・懈怠・放逸・昏沈・掉挙・失念・不正知・散乱である。不信の煩悩心所法は、信位の修行が満足した時に、三宝への疑い、自心の如来蔵への疑い、自己の未来成仏への疑いなどを断除する。しかし、あらゆる法への不信が全て断除されるわけではなく、基本的な法、一定の次元の法への不信が断除されるに過ぎない。懈怠の心所法は、七覚分を修め、精進覚分が現れた時に滅する。精進していない時には、なお懈怠の現象が現れる。三果・四果および初地の菩薩に至って初めて、懈怠の心所法を徹底的に滅除できる。放逸の心所法も同様であり、出離心が生じれば放逸は少なくなるが、徹底的な断除には三果以上の修行が必要である。

禅定に入ると、昏沈の心所法は滅する。掉挙の心所法も同様であり、未到地定が具足すると掉挙しなくなり、初禅定以降には掉挙の現象は滅する。ただし禅定が消失すれば、再び掉挙が現れるかもしれない。失念も同様で、いずれも禅定と関係がある。定力が充足している時は、修した念を忘失することはないが、定力が減退すれば保証できない。散乱も禅定と関係があり、不正知は智慧と関係がある。解脱の法を薫修していなければ、心に不正知が生じる。意識は全ての大随煩悩と相応する。五識単独ではこれらの煩悩心所法はなく、意識と共に初めて生じ、第七識と意識を補助してこれらの煩悩を現行させる。第七識は昏沈の心所法を除き、その他の煩悩心所法を全て有する。第八識は全ての煩悩心所法とは相応しない。

中随煩悩:無慚・無愧である。慚愧の心所法とは反対に、自ら過ちを犯しても反省せず、他人に申し訳なくても羞恥や懺悔の心を持たない。第六識と第七識は無慚無愧と相応する。五識は意識に依存して初めて生じ、第六・第七識を補助してこれらの煩悩を現行させる。単独では生じず、第八識にはこの二つの煩悩はない。

小随煩悩:忿・恨・覆・誑・諂・憍・害・嫉・悩・慳である。これらは主に瞋恨心を基盤とする煩悩であり、慳貪心もある。一般的に煩悩習気に属し、第七識の心に随眠しており、断じ難い。根本煩悩が断除され阿羅漢となっても、これらの習気は滅し難い。地上の菩薩は長い修道の過程で初めて次第に断除し尽くすが、阿羅漢や地上の菩薩が全ての小随煩悩とそれぞれ相応するわけではない。五識は第六・第七識を補助してこれらの煩悩心所法を現行させる。第八識にはこれらの煩悩心行はない。

——生如法師の開示
前へ前へ

真如三昧の境地

次へ 次へ

意根は捨受ではない証明(一)

ページトップへ戻る