衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年05月05日    日曜日     第5 回の開示 合計1500回の開示

意根の内容は唯識種智の範疇に属します

ほとんどの人々は末那識の状態を意識の状態と混同しております。故に、真の末那識の特性を説く者が現れますと、末那識と意識を転倒していると非難されるのであります。しかし実際には、百人中百人、いや九十九人までもがこの転倒を起こしているのです。これらすべての者が煩悩を具足し、無明の煩悩に覆われているが故に、転識得智がなされていないため、末那識の現行作用を眼前に観察することができず、当然のことながら完全に誤解するのです。いかなる時代においても、大多数が高知能で煩悩の覆いのない聖者であり、ごく一部の者が低知能で仏法を誤解するなどということはありえません。この娑婆世界で誤りを犯す者は常に大多数であり、智慧なき者もまた大多数であります。大多数が転識得智を成就し妙観察智を具えるなど、百歩譲っても不可能なことです。故に自らを賢明と思い込む者どもは、過信せず、ましてや誹謗することなく、重い果報を受けぬよう慎むべきです。

末那識に関するすべての事柄は唯識種智の範疇に属し、あらゆる唯識に関する教説もまた唯識種智の領域に含まれます。各識の心所法はなおさらであります。初地の菩薩に至らぬ者は、沈黙を守り、みだりに説法や論争に及ぶべきではありません。現量観行の智慧を具えていない者が、末那識の具体的な運行状態を眼前に観察することは不可能であり、語られる内容の大半は想像と憶測に過ぎず、往々にして誤った結び付けをなすからです。娑婆世界の仏法修行者の多くは概ねこのような状態にあり、多くの者が転識得智を成就し妙観察智や平等性智を具えることはできません。このような智慧を有さぬ者は黙して修行に励み、速やかに初禅定を成就し、煩悩の覆いを断じ切り、各種の観行智慧を修得し、早く如来の家に入り、その後禅定の中で現量をもって末那識の運行を観察し、大衆を導いて末那識の問題を解決し、唯識の智慧を増長すべきであります。

——生如法師の開示
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意根が証果における役割を否定することは法誹謗および法破壊という行為である

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