衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年05月05日    日曜日     第6 回の開示 合計1501回の開示

意根が証果における役割を否定することは法誹謗および法破壊という行為である

証果と悟りを開く際、意識が理解するだけで良いのか、それとも意根が同時に明らかにして共に証果する必要があるのか、この問題は唯識種智の問題でもあります。転識成智を成し遂げた地上の菩薩のみが真に観察し、この問題を明らかにすることができます。地前の菩薩と凡夫は意根及びその働きを観察できず、証果における意根の微妙で深遠な作用を認識できないため、証果における意根の役割を否定することは理に適わず、法を謗り法を損なう行為であり、その果報は軽くありません。

意識による証果を共に宣伝する者は、現世来世の果報が甚だ楽観すべきものではなく、盲人が道案内をするような果報を招きます。我々は法を理解していない時こそ、できる限り沈黙を選び、態度表明を控えるべきです。発言を少なくすれば災いを招かず、発言しなければ災いを被りません。病は口から入り、禍は口から出るという道理は、誰もが理解すべきです。

最近国家が相次いで打ち出した宗教政策について、思慮ある人ならば幾分かの端倪を見出し、問題の所在を理解し、風向きを察知できるはずです。先んじて覚ることができなくとも、後から気付くのであれば良いのですが、恐るべきは全く気付かぬことです。愚鈍なる者には愚鈍なりの果報があるのです。

——生如法師の開示
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意根の内容は唯識種智の範疇に属します

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一切法の修証は、最初は身見の調伏と断除から始まる

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