衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月09日    木曜日     第1開示 合計1509開示

父子合集経選講(三)

原文:六つの触処とは何か。眼の触処は色を見、耳の触処は声を聞き、鼻の触処は香を嗅ぎ、舌の触処は味を嘗め、身の触処は触を覚え、意の触処は法を知る。

釈:世尊は説かれた。六つの触処とは何か。眼の触処が色を見るとは、眼根と色塵が触れ合うところで眼識が生じ、色を見ることができる。耳根という処で声塵に接触すれば、耳識が生じて声を聞く。鼻根という処で香塵に接触すれば、鼻識が生じて香りや臭いその他の雑味を嗅ぐ。舌根の処で味塵に触れれば、舌識が生じて甘酸苦辛鹹の様々な味塵を嘗める。身根の処で触塵に接触すれば、身識が生じて触塵を感じる。例えば日光に触れれば温かさを感じ、風が身体に吹き付けば身体が風に接触し、身識が涼しさを感じる。身体の軽安・快適・飢渇・疲労・酸痛・倦怠などの感覚もまた触塵である。意根の処で意根と法塵が触れ合い、意識が生じれば、一切の法塵の境界を了別することができる。

原文:十八の意が伺察するとは何か。眼が色を見た後、適悦が生じ、或いは憂悩が生じ、或いは捨に住する。このように六根が各々それに縁り、適悦などの三つをいう。これを十八の意が伺察すると名付ける。

釈:伺察とは観察・了別・了知・覚受である。眼根が色塵に触れた後、眼識と意識が色塵を了別し、もし喜悦あるいは憂悩の心境が生じ、或いは喜憂なき中間の覚受状態に住すれば、三種の感受が現れる。これは根・塵・識の三者が三界に対応するものである。耳鼻舌身意の他の五根もまた眼根と同様に、根が塵に触れ、識が生じ、識心に覚受が現れ、喜悦・憂悩・或いは喜びも怒りもない(捨)という三類の心態が生じる。それぞれ五対十五界であり、合わせて六対十八界となる。各根が塵に触れた後には必ず根・塵・識の三界があり、六根が六塵に触れ合えば合わせて十八界となり、それぞれ苦楽捨の三種の受を生じる。これが十八の意が伺察するものである。

——生如法師の開示
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