七大種の数は固定され変化することなく、数え切れないほど存在します。如来蔵はこれら多数の固定された種を用いて一切の法を生じさせ、法が滅する時、種は全て如来蔵に戻り、他の法の中で再び生じ、別の法を生じさせます。種は法の上で刹那に生じ刹那に滅し、一切の法は刹那に生滅変化するものであり、恒久不変ではない故に無常であります。
意根は業種と相応しますが、意根の智慧は種子の中から現行を引き出す必要がなく、智慧は常に意根と相応しています。即ち意根は常に智慧を具えているということです。例えば我々が一度料理を覚えれば、生涯を通じて料理の縁に遇えば即ち料理をなすが如く、この技能は常に意根の中に存在しています。意根が熏習した法は常に心中に存在し、それ(意根)は常に理解を具えているため、その智慧は常に帯びており、特に如来蔵から種子を取出す必要なく、しかし種子とは常に相応しているのであります。
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