衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月17日    水曜日     第3開示 合計923開示

身見の現れ

現実生活におけるどのような面での影響が身見を増長させるのか。身見が断ち難い原因は何か。なぜ前世で身見を断った者が、今世で再び仏法に遇えば速やかに身見を断てるのか。これらの現象を全て見出し、少しずつ色身への執着を調伏すれば、身見を断つのはより早くなる。色身に対するあらゆる面での保護維持は、全て身見が原因である。色身に対してどのような保護維持や執着があるのか。

出家者の戒律を理解すれば、なぜ仏陀がそれほど多く詳細な戒律を制定されたかが分かる。それらは全て身見と我見を調伏するために設けられたものである。出家者がこれを理解せず、戒律が自分をあまりに拘束すると嫌がる。もし仏陀の制定された戒律を守れば解脱を得ることができ、小乗の戒律は別解脱戒とも呼ばれ、一つの戒律を守れば一つの解脱を得る。したがって出家して修行すれば、将来必ず四果の阿羅漢を証得し、いつかは解脱を得る時が来る。出家の利益は多く、解脱自在である。

現代人の生活様式は身見を断ち難くさせており、皆が過度に贅沢でわがままで、享楽にふけり、顧みることなく快適な享受だけを求めている。自身の身見を観察するには、日常の衣食住、行動のあらゆる面・角度から、財・色・名誉・飲食・睡眠の各方面から、色を見る・声を聞く・触覚・香を嗅ぐ・味を嘗めるといった点から観察を始め、自分が特にこれらの面を重視し、色身を特に気にかけ、色身を特に気遣い世話し、色身の享受に特にこだわっていることに気づけば、それは身見が比較的重い証拠であり、調伏する方法を考えるべきである。

現代人が比較的退屈で味気ないと感じる生活は、心を養いやすく、身見・我見を断ちやすい。なぜならそのような生活は人を貪着させにくく、心が比較的純粋で清浄であり、色身をあまり重視せず気にしないため、身見が断ちやすく、我心も軽微で我見が断ちやすいからである。さらにそのような生活は福徳を浪費せず、福徳に支えられているため、道業の進歩が非常に速い。真の菩薩は、自身の福徳を大切にし、簡単に消耗させたりせず、したがって享受にこだわらない。菩薩がこの世に生まれる時、富貴な家を選ばないのは、幼少期に福徳が親によって勝手に消耗されてしまうのを避けるためである。現代人は皆これらの福徳に関することを理解せず気にも留めず、知らず知らずのうちに享受を通じて簡単に消耗してしまい、非常に残念なことである。自分では気づかず、栄華富貴を享受することを誇りにさえ思っている。親は必ず子供に対して責任を持ち、勝手に子供の福報を消耗させるような決定をしてはならない。それらの福報を幼少期に消耗してしまうと、成長して福報が少なくなると苦しみが生じ、仏法を学ぶ際に道業に用いる福徳が不足し、道業の成就が困難になる。

過去の時代には、様々な身体装飾品もなく、家屋装飾品もなく、多種多様な衣服や飲食もなかった。当時の人々は身体に何かを塗ることもなく、室内に噴霧することもなく、過剰な装飾もせず、簡素で質素であったため、色・声・香・味・触に染まりにくく、色身の手入れもほとんどせず、思想は純粋で身見は断ちやすかった。富貴な者は修道が難しく貪りの習気が強すぎ、貧しい者は布施が難しく福が薄い。したがって修道は一点一滴から始め、小さなものを積み重ねて大きくし、少ないものを積み重ねて多くとし、良好な修行習慣を養えば、道を成就できない心配はない。

——生如法師の開示
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