現実生活におけるどのような影響が身見を増長させるのでしょうか。身見が断ち難い原因は何でしょうか。前世で身見を断った人が今世再び仏法に遇えば、速やかに身見を断つことができるのはなぜでしょうか。これらの現象を全て見出し、少しずつ色身への執着を調伏すれば、身見を断つことが早まります。色身に対するあらゆる保護は、全て身見によるものです。色身に対してどのような保護と執着があるのでしょうか。
出家者の戒律を学べば、仏陀がなぜそれほど詳細な戒律を制定されたのかが分かります。それらは全て身見と我見を調伏するために設けられたものです。出家者がこれを理解せず、戒律が自分を拘束しすぎると感じる場合があります。もし仏陀の定めた戒律を守れば解脱を得ることができ、小乗の戒律は別解脱戒とも呼ばれ、一つの戒律を守れば一つの解脱を得ます。故に出家修行をすれば、将来必ず四果阿羅漢を証得し、いずれ解脱を得る日が来ます。出家には多くの利点があり、解脱と自在を得られます。
現代人の生活様式は身見を断ち難くさせます。過度に贅沢を求め、享楽に溺れ、快適さのみを追求します。自身の身見を観察するには、日常の衣食住行のあらゆる面、財色名食睡の各分野、色を見る・声を聞く・触覚・香り・味覚などの諸相から観察します。これらの面を特に重視し、色身を過度に気遣い、色身の享楽に拘るならば、身見が重いと言え、調伏の方法を考えるべきです。
現代人が退屈と感じる質素な生活は、心を養い易く身見我見を断ち易いものです。そのような生活は貪着を生じ難く、心が純粋で清浄であり、色身に執着せず、身見を断ち我執も薄れます。さらにそのような生活は福徳を浪費せず、福徳に支えられて修行が速く進みます。真の菩薩は自身の福徳を大切にし、享楽で消耗させません。故に菩薩はこの世に生まれる時、富貴の家を選ばず、幼少期に福徳が親によって無駄に消費されるのを避けます。現代人はこれらの福徳の道理を知らず、享楽を通じて知らず識らずに浪費し、大変惜しいことです。自身の栄華富貴を誇りとする者もいます。親は子の福報を安易に消耗せぬよう責任を持つべきです。幼少期に福報を使い果たせば、成長後は福薄く苦しみ、修行に用いる福徳が不足し、悟りの成就が困難になります。
昔の時代には身体装飾品も家具装飾もなく、多様な衣服や飲食もありませんでした。人々は身体に何かを塗布せず、室内に香りを焚かず、過剰な装飾もせず、簡素な生活を送りました。色声香味触に染まり難く、色身の手入れも少なく、思想が純粋で身見を断ち易かったのです。富貴は修行を難しく貪欲を強め、貧困は布施を難しく福薄くします。故に修行は些細なことから始め、小さな積み重ねで良好な修行習慣を養えば、悟りの成就は必ず叶います。
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