衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月11日    土曜日     第3開示 合計1517開示

修定の利益

朝の静坐中、QQのチャイム音が聞こえた。最初はただ音を知覚するだけで、音の定義や概念はなく、いかなる感覚も伴わない。単純な知覚であり、この過程は長く続く。これは耳識による弁別であり、比較的粗い。その後、意識による弁別が生じ、意識が弁別して初めてQQの音であると判別される。定義と言葉が生まれ、感覚が伴う。同時にだるくて動きたくなく、快適さに少し執着する感覚があり、坐り続けたいと思う。これは意根の執着である。耳識が音を聞く前は、意根による知覚であり、意根の知覚はぼんやりとして、音であるとも判別できず、その内容もわからない。意識が現れて初めて徐々にQQのチャイム音であると弁別できる。静坐して入定していなければ、この弁別過程は非常に短く速い。しかし定中では心が非常に繊細で、弁別も微細であり、耳識・意識・意根が普段より微細であるため、過程全体がやや長く感じられ、内容も細やかになり、知覚が純粋になる。心が感情を起こしにくく、煩悩が制御されやすい。

これらは全て意根の働きによるものである。もしさらに意根を制御できれば、チャイム音が鳴っても、それが何であるかを弁別しようとしなくなる。そうすると耳識や意識は生じず、五識も生じない。無覚無知の状態となり、二禅の境界に入る。

静坐中、心は非常に繊細になり、知覚は真実味を帯び、客観的で感情に左右されなくなる。それにより普段は気づかない事実の真実を発見できる。心が境界に入らず、純粋に知覚し、客観的に弁別するだけであれば、我見を断ち明心するのは比較的容易になる。

禅定を得た者の心は非常に繊細である。微細な弁別により人や物事を見抜くのが正確で、根本を捉えられる。物事を行う際は心が細やかで細部まで行き届き、新しいことに接してもすぐに習得でき、ミスが少ない。人は聡明で智慧がある。心が散乱している者は、想像に難くないが、心が粗雑で落ち着きがなく、ぞんざいでいい加減である。私が接する人々の中で、ほとんど眼中にないため、私は常に人を避けてきた。幼い頃から独りでいることを好み、一人で静かに何かをするのが好きだった。

——生如法師の開示
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