仏は説かれた。「大王よ、この外地界は、生ずる時も本来空であり、滅する時もまた空である。男相もなく、女相もない。ただ言葉によって示されるのみである。かくの如き地界と地界の性質は、共に得ること能わず、ただ仏の正しい智慧のみが余すところなく了知し得るのである」。
釈:仏は説かれた。大王よ、この外地界が生じる時、本来空であり、滅する時もまた空である。この地界には男相も女相もなく、ただ言葉の形式によって地界および地界の性質を顕わしているに過ぎない。このような地界および地界の堅固性は、いずれも得ることのできないものであり、ただ仏の大智慧のみが余すところなく了知し得るのである。
外地界が徐々に形成される時、二十小劫三億三千六百万年を経て、無所有の虚空から建立され、三千大千世界の宇宙器世間を次第に形成する。三千大千世界が壊滅した後は、再び無所有に帰する。生滅するものは全て空であり、一法も存在しない。
地大の種子は如来蔵に存在するが、種子もまた形相なく空である。形成された外界の山河大地も、その自性は空であり、自らの存在を決定する自体性を持たず、如来蔵によって変現されたものである。物体の堅固性もまた空であり、形相なく、物体と共に生滅する。
地界は衆生の色身を形成するが、欲界の衆生において色身は男相と女相に分かれる。しかし地界自体には男女の相も何らの相もない。地大の種子が色身を形成した後に、初めて男女の相が分かれるのである。無相の地界が有相の物体と生命体を形成するのである。
我々の色身において、骨骼・筋肉・皮膚・髪・爪などは全て地の堅固性に属し、地性と呼ぶ。地性自体に男女の相はないが、色身を形成すると男女の相に分かれる。男女の相は実は全て虚妄である。地大は本来相なく差別ないが、変現する相に差別が生じる。何故なら、相は我々が造る業によって決定され、男性の業を造れば如来蔵は男性の色相を現出し、女性の業を造れば業種が如来蔵に存在し、地大を輸送して女性の色相を現出させるからである。
無相から有相へ、一切の相は虚妄である。業種が消滅すれば相は転化する。禅定を修め初禅・二禅・三禅・四禅を得て命終すれば色界天に生じる時、その色身には男女の相がなくなる。男女の相は転化変化し得るが故に、不実で幻化の虚妄である。変化し得るものは仮の存在であり、真実のものは永遠に不変である。
永遠に不変なものとは如来蔵である。三災が大千世界を壊滅させても、壊されないものがある。それが如来蔵である。何故壊されないのか。その本性が空であり、相もまた空である故に、壊すべきものがないからである。我々は相を持つ故に壊され、生ある故に滅する。如来蔵は生も滅もない。
家屋が空である時、盗人や破壊者が来ても何も得ることはできない。空には壊すべきものがない。誰が虚空を壊せようか。如来蔵の本性は空である故に壊されない。如来蔵が現出する一切の相は有相であり、有相のものは壊され得る。財布に金がない時、誰が金を奪い得ようか。有るものは壊され、生ずるものは滅する。これが世間と出世間の道理である。
地性は地水火風の四大種性の一つである。この四大種性は如来蔵に存在し、種子を含蔵している。種子が輸送されれば我々の色身を現出し、山河大地を現出する。四大種子は一切の物質色法を現出し得る。
地界と地界性は共に得ること能わず、虚妄で空である。この事実の真相は、ただ仏の智慧のみが完全に了別証得し得る。我々は相似的に一部分、甚だしきは一小部分を理解するに過ぎない。等覚菩薩でさえもこれらの道理を完全には了知できず、ただ仏の智慧のみがこれらの種子問題を余すところなく了知し、如来蔵の功能種子を全て知り尽くす。故に仏は一切種智である。初地以上の菩薩は道種智を持ち、如来蔵内の功能種子を一部分了知する。全く了知しないのは初地以下の菩薩、あるいは未悟の凡夫菩薩である。了知するほど智慧が高まり、菩薩の果位も高まるのである。
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