衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月12日    日曜日     第1開示 合計1518開示

父子合集経選講(一〇)

仏は説かれた。「大王よ、この外地界は、生じる時ももとより空であり、滅する時もまた空である。男相もなく、女相もない。ただ言葉によって示されるのみである。このように地界も、地界の性質も、いずれも得ることはできない。ただ仏の正しい智慧のみが、余すところなく了知しうるのである。」

解説:仏は説かれた。大王よ、この外地界は生じる時、もとより空であり、滅する時もまた空である。この地界には男相もなく女相もなく、ただ言葉の形をもって地界および地界の性質を示しているに過ぎない。このように地界および地界の堅固性は、いずれも了不可得であり、ただ仏の大智慧のみが余すところなく了知しうるのである。

外地界が少しずつ形成される過程では、二十小劫すなわち三万三千六百万年を経て、無一物の虚空から建立され、三千大千世界という宇宙の器世間を徐々に形成していく。三千大千世界が壊滅した後は、再び無一物に帰する。生滅する性質を持つものはすべて空であり、一法も存在しない。

地大の種子は如来蔵に存在しており、種子もまた形も相もなく、空である。それによって形成された外界の山河大地も、その自性は空であり、自体性を持たず、自ら存在を決定することはできず、如来蔵によって変造されたものである。物体の堅固性もまた空であり、形も相もなく、物体に随って生じ滅する。

地界は衆生の色身を形成しうる。欲界の衆生において色身は男相と女相に分かれるが、地界そのものには男相も女相もなく、いかなる相もない。地大の種子が色身を形成した後に、初めて男相と女相に分かれるのである。相のない地界が、相を持つ物体や生命体を形成しうるのである。

私たちの色身において、骨格・筋肉・皮膚・髪・爪などはすべて地の堅固性に属し、地性と呼ばれる。地性そのものには男女の相はないが、私たちの色身を形成すると男相と女相に分かれる。男相と女相は実はどちらも虚妄である。地大はもとより相がなく、差別もないのに、変現された相には差別が生じる。なぜか? 相は私たちが造った業によって決定されるからである。男性の業を造れば、如来蔵は男性の色相を変現する。もし私たちが女性の業を造れば、その業種は如来蔵に存在し、如来蔵が地大を輸送して、私たちに女性の色相を造り出すのである。

無相から有相へ、一切の相は虚妄である。業種が消除されれば、相は転化する。私たちが禅定を修め、初禅・二禅・三禅・四禅の定を得て、命終して色界天に生ずる時、その色身には男相も女相もなく、その時には男女の相は存在しなくなる。男女の相が転化し変化しうるということは、男女の相が不実であり、幻化であり、虚妄であることを示している。変化しうるものは偽りであり、真実のものは永遠に変わらない。

永遠に変わらないものは何か? それが如来蔵である。三災が大千世界を壊しうるならば、何が壊されないのか? それが如来蔵である。なぜ壊されないのか? その本性が空であり、相もまた空であるがゆえに、壊すべきものなど何もないからである。私たちには相があり、相があるからこそ壊されうる。そして私たちには生があるがゆえに滅がある。如来蔵は生もなく滅もない。

もし家屋が空であるならば、物を盗みに来る者や、物を奪いに来る者、あるいは物を壊そうとする者がいたとしても、その目的を達成することはできない。空には壊すべきものなど何もない。誰が虚空を壊すことができようか? 如来蔵の本性は空であるがゆえに、壊すこともできないのである。一方、如来蔵が変現する一切の相は、すべて有相であり、有相のものは壊されうる。私たちのポケットにお金がない時、誰がお金を奪い去ることができようか? 有るものは壊されうる。生じたものは滅しうる。世間も出世間もこの道理である。

地性は地水火風という四大種性の一つである。この四大種性は如来蔵に存在し、そこには種子が含蔵されている。種子が輸送されれば、私たちの色身を変現し、山河大地を変現しうる。四大の種子は一切の物質的色法を変現しうるのである。

地界も地界の性質も、いずれも了不可得であり、虚妄であり、空である。この事実の真相は、ただ仏の智慧のみがすべてを了別し、すべてを証得しうる。私たちはせいぜい相似の理解の一部、ごく一部に過ぎない。等覚菩薩でさえもこれらの道理を完全には了知できず、ただ仏の智慧のみがこれらの種子の問題を余すところなく了知し、如来蔵の中の機能種子をすべて了知し、一点の漏れもない。それゆえ仏は一切種智である。初地以上の菩薩は道種智を持ち、如来蔵の中の機能種子の一部を了知している。まったく了知しないのは、初地以下の菩薩、あるいは悟りを開いていない凡夫の菩薩である。了知するほど智慧は高まり、菩薩の果位もまた高くなるのである。

——生如法師の開示
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