衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月13日    月曜日     第1開示 合計1523開示

父子合集経選講(一三)

原文:この世界が壊れる時、大いなる黒雲が三十二重に起こり、三千大千世界に遍く覆い、洪雨を降らす。雨粒は象のごとく大きく、昼夜を通じて注ぎ続け、絶えることなし。かくの如き時分、五十劫を経て、その水は積もり満ち、梵世にまで至る。大王よ、この外水界は何処より来たるものか。

釈:三千大千世界が壊滅する時、天に三十二重の黒雲が降り立ち、三千大千世界を遍く覆い、その後、雨粒は象ほどにも大きくなり、昼夜を問わず豪雨が降り続き、五十劫もの時間が過ぎると、水は欲界天に積もり満ち、色界天にまで上昇した。大王よ、この外水界はどこから来たのか。

外水界とは身体の外にある水界を指す。例えば宇宙の虚空、山河大地に含まれる水分や湿潤性がそれである。三千大千世界が滅亡する時、水害が発生すると、天空に大黒雲が立ち上り、三十二重にもなり、非常に濃く重く、層を重ねて絡み合い、まさに大雨を降らそうとする。三十二重の黒雲が三千大千世界に遍く広がる。三千大千世界には百億の地球、百億の須弥山、欲界六層天、初禅天までもが百億ずつ存在し、無数の星体が黒雲に覆い尽くされる。その後、象ほどもある雨粒が降り注ぎ、虚空全体の三千大千世界に広がり、天界さえも水没する。

その時、我々人間は既に存在せず、地球は既に破壊され、火災が人類と欲界天を滅ぼしている。欲界には人類も生命も存在せず、地球から欲界六層天までは全て虚空となり、虚空にも雨が降り注ぐ。雨は五十劫も降り続き、一劫を小劫で計算すれば千六百八十万年、五十劫では八億四千万年に相当する。雨水は虚空を水没させ、初禅天、二禅天にまで達する。世界が破壊される時はこのようである。これほどの水は全て外水界に属し、水が来る時には来るべき場所がなく、水が引き去る時にはどこへ退くのか。これほどの水がどこへ退去するのかは問題であり、どこへ行ってもその場所を水没させる。

衆生が胎内に入ったばかりの時、受精卵には水は存在しない。如来蔵が受精卵を徐々に大きくする過程で、内部に水を含むようになる。その水はどこから来たのか。衆生が死亡する時、体内の水界は消滅するが、水はどこへ行くのか。水界は来る所なく、去る所なし、これが小乗の説き方である。大乗の立場から言えば、水界はどこから来るのか。如来蔵から来るのである。大乗では一切の万法は如来蔵から来ると説く。小乗では一切の法は空であり、来る所なく去る所なしと説く。これが大小乗の二つの説き方である。

万法は全て無所有の中から形成され、壊滅後も無所有に帰する。塵一つ残らず、最も微小なクォーク粒子さえも存在しなくなる。世界はこれほど虚妄である。世界の巨大ささえも壊滅するのに、執着しようとしても執着できず、ましてや我々の小さな身体は一層容易に壊滅する。一切の法はあまりにも虚妄で実体がない。我々の生命が形成される全過程は、無所有から一つの受精卵となり、誕生し、子供から大人へ成長し、百斤余りの躯殻となるが、生命が終わる時にはこの百斤余りが再び分散する。一体何が残るのか。何も残らない。僅かな骨灰のみであり、時が経てば骨灰さえも消え去る。前世の骨灰を誰が探し出せるだろうか。見つからない。故に五蘊の生命体全体、宇宙虚空全体が空漠としており、執着すべきものではない。

——生如法師の開示
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