衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年05月15日    水曜日     第3 回の開示 合計1532回の開示

意根の恒常的かつ審らかな思量とは何か

末那識は恒常的審慮思量の体性を具える。「恒」とは恒常性・永久性を指し、審察思量の性質は末那識と永遠に相伴う。末那識が存在する限り、末那識は一切の法を審察思量する。衆生の末那識は無始劫以来断滅したことがなく、小乗の四果阿羅漢や縁覚辟支仏の果位に至って初めて滅する能力を得る。これを除き、他の衆生の末那識は未来世より仏地に至るまで、また仏地以後も滅することなく、永久に存在し続ける。これにより第八識は不断に世間の万法を現起せしめる。この断滅しない体性を「恒」と称し、その思量性は刹那刹那に末那識の現行作用に随伴して永劫に止まぬ。これが末那識の恒性である。

「審」とは審慮・審察・審度・評定を意味し、疑性を表す。ある状況を探明し、事理を究明せんとする心行である。確知不能の故に疑念を生じ、審度思量を必要とし、ある法が如何なるものか、真実正しいか否かを判断する。この心行を「審」と称す。世俗法における年次審査・審査・審度・審訊・審問はこの「審」の意である。末那識は審の体性を具え、審がなければ決断を下せず、常に審察・審慮・審度を経て、心中明瞭の後に初めて最終決断を行う。

「思量」とは、末那識が一切の法に対し衡量・取捨・決断・考量・参究・量度・籌度・了別を行うことを指す。ある法の内容と本質が如何なるものか、自己に利益あるか、如何に為すべきか、如何に願いを満たし目的を達するかを衡量し、その後取捨決断を行う。故に末那識は思量性を具える。末那識は思量を経て初めて、自らの思量結果に基づき取捨を決断し、六識を主導して相応の身口意行を採らしめ、目的達成を図る。第八識もまた末那識の思量決断に随順し、万法を出生せざるを得ないのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

真証と仮証の区別

次の記事 次の記事

父子合集経選講(二〇)

ページのトップへ戻る