問:「どのようにして意根自ら結論と答えを導き出せばよいのでしょうか。意識による分析的な思考を減らし、意根自身に思量考量させることが最も効果的です。一旦意識が答えを知ってしまうと、もはや参究する意欲を失い、意根も参究する機会を失ってしまいます」
以前師父の法義解説では「意識による分析思考を多く用いて意根を薫染すべき」とありましたが、上記の発言と矛盾しています。これはどう解釈すればよいのでしょうか。
答:最初は意識による薫習を十分に行う必要があります。意識が法義を明確に理解した後は、言語文字の相を離れ、これらの法義を一点に凝縮して絶えず心に懸けておくべきです。この段階では意根の思量が意識の思考を上回ります。
意識による法義の薫習は、調査員が市場情報を収集するようなものです。情報は詳細である必要がありますが、資料収集後は上司である意根の審査に委ねます。この時点で部下の仕事はほぼ終わり、上司が理解できない部分を適宜説明・補足します。法義を一点に凝縮して心に懸けるとは、意根という上司が資料審査を行う段階であり、従業員は上司の審査を妨げず、上司が自らの結論を出して最終決定するのを待つことです。これが証得の過程です。
世俗の法律で有罪判決を下すには100%の証拠が必要なため、意根(司法官)が疑念を抱いた場合、意識(検察官)が証拠を捜索し、意根が確信を得て初めて量刑が確定します。
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