原文:しかるにこの識界は、各々がそれぞれの境を了別し終えた後、直ちに滅び去る。生じるに来るところなく、滅するに去るところなし。大王よ、識が生じる時は空であり、滅する時もまた空である。その自性は離れているがゆえに、男相にも住せず、また女相にも非ず。ただ言葉によって示されるに過ぎない。かくの如く識界と識界の性は、いずれも得ることができない。ただ仏の正慧のみが、これを了知し得るのである。
釈:そして、この識界は各々が対応する塵境を了別した後、滅び去る。識界は生じるにも来るところがなく、滅するにも去るところがない。大王よ、識界が生じる時は空であり、滅する時もまた空である。その識界の自体性は一切の相を離れ、これまた空であり、男相にも住せず、女相にも住さない。ただ言葉によって示される虚相に過ぎない。したがって識界および識界の性は、いずれも了不可得であり、ただ仏の無上の円満なる大智慧のみが、その内包を円満に了知し、妨げることがないのである。
眼識が色塵を了別した後、眼識は消失する。耳識が声塵を了別した後、耳識は消失する。鼻識が香塵を了別した後、鼻識は消失する。身識が触塵を了別した後、消失する。意識が法塵を了別した後、消失する。この六つの識は来るところなく、去るところなし。来る時は空であり、滅する時は空である。眼識が生じる時、処所なく、眼根や色塵からも来ず、虚空からも来ず、大脳からも来ない。来るところがない。滅する時もまた滅する処がなく、眼根の中にも去らず、色塵の中にも去らず、虚空の中にも去らず、大脳の中にも去らない。これはただ小乗の説法を述べたものであり、大乗において言えば、すべて如来蔵から来るのである。
識界の自性とは、一切の法を離れ、一切の法に着かないことであり、その自体性は本来空である。識性は男相にも住せず、女相にも住さない。男相もなく、女相もない。しかしながら識性は男相と女相を了別し得る。識界には本来、形も自体相もなく、ただ言葉によって示されるに過ぎない。したがって、識界と識界の性はいずれも了不可得であり、執着することもできず、捉えることもできない。ただ仏の正知正慧のみが、このことを徹底的に了知し得るのである。
これらの識はまた、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にも住せず、外界の色塵・声塵・味塵・触塵にも住さず、根や塵にも住さず、一切の法にも住さない。それ自体に男相も女相もなく、ただ言葉による仮相、一つの名詞に過ぎない。ゆえに六識界および識界の性質は了不可得である。
識の性質は分別であり、眼識は色を分別し、耳識は声を分別し、鼻識は香臭を分別し、舌識は酸・甘・苦・辣を分別し、身識は触塵を分別し、意識は法処所摂色を分別する。その自性はいずれも了不可得である。ただ仏の正慧のみが、このことを完全に了知し得るのであり、私たちはほんの一部分のみを了知し得るに過ぎない。
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