衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年05月19日    日曜日     第2 回の開示 合計1541回の開示

意根は何を思量するのでしょうか

意根は第八識によって変現された一切の相分に基づいて恒常に審らかに思量を行いますが、思量する際には軽重緩急があり、重点的・選択的に行われ、一切法を同時に思量するものではありません。第八識が変現する法は意根が全て縁取可能であり、縁取した後に初めて思量性が生起する、あるいは選択的な思量が可能となるのです。第八識が変現する相分は極めて広範であるため、意根の思量範囲もまた広大無辺であり、一処あるいは限られた数処に定めることは困難です。このため意根は専注し難く定力を保持し難い特性があります。ただし特殊な訓練を経て、意根が少数の法のみに作意し思量する場合、あるいは意根が一部の法への執着と攀縁性を滅除し過剰な攀縁を止めた場合に限り、定を獲得し智慧を増進させることが可能となります。

例えば四禅八定や未到地定を修得した者は、その意根に必ず定を具えています。様々な三昧を体得した者も、意根に確固たる定を保持しています。外道法たる気功や各種功法の修練者、あるいは各分野の科学研究者・科学者などにおいても、意根は禅定を有しています。ただし最も優れた深遠な定は仏の意根に具わり、これは意根が完全に転識得智を成し遂げた後に得られる甚深禅定・無上禅定です。初地以上の菩薩の意根は転識得智を開始し、一分あるいは多分の法無我智を具現し、人我執を断じつつ一分あるいは多分の法我執を断じており、その攀縁性は大幅に減少しています。従って意根の定は浅からざるものです。八地菩薩及び仏地に至れば、無量無辺にして不可思議なる諸三昧を具現し、意根の定は深広無比となります。意根の定力が優れているほど、法に対する思量が集中・専注され、智慧もまた深遠広大となるのです。

——生如法師の開示
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意根の思量

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