三悪道を出た衆生は、愛欲によって生じる。貪愛の後世における果報は、多くは餓鬼道にて業果を受ける。貪愛の軽き者は人となり、天に昇ることもある。貪愛は水の性質を持ち、水は下へ流れるが、下とは三悪道を指す。楞厳経に仏の説かれた通り、経典を参照すべし。仏道を学ぶ者に男女の貪愛を奨励する者あり、縁を結ぶべきと説く。縁は確かに結ばれるが、善きか善からざるかは仏意に照らせば良き結果なく、六道輪廻の生死苦悩を免れない。
或る者は出家して間もなく、女友達に引き戻され、再び出家してもまた引き戻され、これを七度繰り返し、極めて苦悩した。解脱を求めれば彼女は逆に縛り、解脱を許さず、まさに生死の怨敵なり。
清浄を求めながら人に執着され続けるその苦しみは、耐え難き煎熬の如し。
或る者は言う「菩薩は衆生を慈しむべきで、妻子も衆生なれば当然より慈しむべき」と。しかし慈しみは適切でなければならず、節度あるべき。もしひたすら自分の家族縁者と有縁者だけを慈しみ、全ての時間と精力を少数の者に費やし、その者らが根器足らず、これがために自らの道業を妨げるなら、値いすることではない。
菩薩の慈悲は、多数の者を慈しむことを主とすべし。精力を集中して修持を成就すれば、無量の家族縁者と有縁者を利益し、生々世々の無量劫にわたる父母妻子を利益する。現在の一妻一子一父一母に主なる精力を注ぐべきではない。小愛は大愛に比べれば微々たるもの、小愛に捉われれば道業を損なう。菩薩の目は広遠なるべきで、自らの智慧の光をもって天下の一切衆生を照らす願いを発し、大慈大悲の心こそ真の菩薩心なり。小慈小愛はただ道を障げるのみ、速やかに捨て去るべし。
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