衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年05月21日    火曜日     第3開示 合計1545開示

小さな慈悲と愛はただ悟りの妨げにすぎません

三悪道を出た衆生は、愛欲によって生まれる。貪愛の後世の果報は、多くは餓鬼道に行って業果を償い、貪愛が軽微な者は人間界に生まれ、天界に昇ることもできる。貪愛は水の性質を持ち、水は下へ流れるが、下とは三悪道を指す。首楞厳経で仏はこう説かれている。詳しくは仏典を参照されたい。ある者は大々的に、男女の貪愛を奨励し、仏教徒に「縁を結ぶためだ」と言う。縁は確かに結ばれたが、善となるかどうかは仏の教えによれば良い結果にはならず、六道輪廻、生死の苦恼に陥る。

ある者は出家して間もなく、元恋人に絡まれ戻され、再び出家してもまた絡まれ戻され、これを七度繰り返し、非常に悩んだ。あなたが解脱を願うと、彼女は逆に絡んで離さず、解脱を阻む。生死をかけた怨みの相手である。

一人で清浄を願いながら、人に絡まれ続けるその心境は、耐え難いほど辛い。

ある者は言うかもしれない。菩薩は衆生を慈しみ憐れむべきであり、妻子も衆生だから当然より慈しむべきだと。しかし慈しみ憐れむにも節度が必要で、適度でなければならない。もし自分の家族や縁ある者だけを特別に慈しみ、全ての時間と労力をごく少数の者に費やし、その者たちの器量が十分でないため、自らの修行の道を妨げるなら、それは価値がない。

菩薩の慈しみ憐れみは、大多数の人々への慈しみを主とすべきである。集中して修持を成就すれば、無量の家族や縁ある者に利益をもたらし、生々世々無量劫の父母妻子に利益を与える。主な労力を現在の一妻一子一父一母に注ぐべきではない。小さな愛と大きな愛を比べれば取るに足らず、小さな愛に捉われれば修行の道に支障をきたす。菩薩の目は遠く広くあるべきで、自らの智慧の光で天下の全ての衆生を普く照らすことを誓い願うべきである。大慈大悲の心こそ真の菩薩の心であり、小さな慈しみ愛は道を妨げるだけだから、速やかに捨て去るべきである。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の無明を除去して初めて業を滅することができる

次へ 次へ

外道の定と仏門の定をいかに区別すべきか

ページトップへ戻る