禅定は全ての衆生が共に修証する内容であり、全ての外道と仏教徒に共通する定であり、特徴において何ら差異はないが、功用においては大きな差がある。
その差異は、外道の定には思惟がなく、観行がなく、観修がなく、参究などの思想活動がなく、これによって無我の智慧が生じず、解脱を得られない点にある。一方仏教の如理なる定には必ず思惟観行参究の活動があり、これによって相応する解脱の智慧が生じる。もし仏教徒が修める定が常に定中に留まり、思惟観行の活動を伴わないならば、それは外道の定に属する。
一般的に仏教徒が修行する定の大多数は外道の定と相通じるものであり、後期に至って定中で思惟観修の活動を起こす時、初めて外道と共にせざる定に属する。故に各仏教徒は外道の定や如何なる禅定をも排斥する必要はなく、最終的に各種の定を利用して正しい解脱の智慧を生じさせ得ればそれでよく、これこそが定を修める根本目的である。
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