衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年05月22日    水曜日     第2 回の開示 合計1548回の開示

外相が清浄でない者は摂心できません

ある人が「肉を食うか否かに執着する必要はなく、つまり相に執わず、心を摂えることが戒の根本である」と言います。しかし実際の因果関係は、誰が執着しようとしまいと、必然的に現れるものであり、一方的な願望だけでは何も解決できません。

真に戒を保つには心を摂める能力が必要です。心を摂める能力がなければ戒を保つことはできません。重要なのは、どのような人が心を摂められるか、どの程度修めれば真に心を摂められるかということです。自分で心を摂めたと思ってもそうではないし、相に執わないと思ってもそうではないのです。そのような考え方は全く正確ではなく、道理に適いません。相に執わない境地に至るには、相応の真理を悟り、深い禅定を得なければなりません。そうして初めて執着を離れ、相を破って心を摂めるのです。これ以外は単なる口先の禅に過ぎません。

よく考えるべきです。どの程度修めれば心を摂められるのか、自らに問いかけてみてください。本当に心を摂められますか?もしできるなら、どんな問題も解決でき、食事の内容は関係なくなります。もし「肉を食うか否かに執着することは相に執わることだ」と言うなら、つまり肉食に執着しないことは既に心が相に執わない状態だということです。既に相に執わないなら、何を食べても良いはずです。白米だけでも、漬物一皿でも、肉のない生野菜でも、何でも構いません。食べ物に執着しない人は残り物でも何でも食べ、腹が満たされれば修行に励めること以外は気にしないはずです。

真の不執着とはこのような状態であり、単に肉食を避けないという話ではありません。

——生如法師の開示
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