肉を食べるか否かにこだわる必要はなく、それは相に執着しないことであり、心を制御して戒律を守ることが根本であると言う人がいる。しかし、事実と結果の因果関係は、誰かが執着するか否かに依存せず、必ず現れるものであり、一方的な願望では何も解決できない。
心を制御する能力があって初めて真に戒律を守れるのであり、心を制御する能力がなければ戒律は守れない。どのような人が心を制御できるか、どの程度修行すれば真に心を制御できるかが重要であって、自分で心を制御していると思えばそれで良いわけではなく、相に執着していないと思えばそれで良いわけではない。そのような考えは全く不正確で道理にかなっていない。相に執着しないことを実践するには、相応の真理を悟り、深い禅定を得て初めて可能であり、それによって初めて相を破り心を制御できる。これ以外は全て口先だけの言葉に過ぎない。
どの程度修行すれば心を制御できるかを明確にすべきであり、自らに問うてみるべきだ——自分は心を制御できているだろうか?もしできているなら、どんな問題も解決できるはずであり、食事をとるか否かも問題ではない。もし肉を食べるか否かにこだわることが相への執着だというなら、肉を食べるか否かにこだわらないことは、すでに心が相に執着していない状態だと言える。すでに相に執着していないのなら、何を食べても構わないはずであり、こだわる必要はない。白米だけでも良く、漬物一皿を添えても良く、肉の入っていない生野菜でも良く、何を食べても良い。食べ物にこだわらない人とは、残り物なら何でも食べられる人であり、腹が満たされ修行に励めればそれで良く、それ以外は一切気にしないはずである。
真に執着しないとはこのような状態であって、「肉を食べることを避ける必要はない」という言葉とは異なる。
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