衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月22日    水曜日     第3開示 合計1549開示

父子合集経選講(三十七)

第五章 三つの夢の喩え

原文:大王よ、諸根は幻の如く、境界は夢の如し。譬えば人が夢の中で、多くの侍女たちと共に楽しみを共にするがごとし。大王よ、汝はどう思うか。その者が夢から覚めた後、受けた楽しみを思い出すとき、それは実在したと言えるか。王は言う、そうではない。

解釈:仏は言われた。大王よ、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)は全て幻化によって現れ出たものであり、六塵(色・声・香・味・触・法)の境界は夢の中の境のようである。譬えば、ある人が夢の中で、数多くの侍女たちと共に戯れ遊び楽しむ。大王よ、あなたの見解はいかがか。その者が夢から覚めた後、夢の中で感じた楽しみを思い出し、夢の中の境界は実在したと言えるか。浄飯王は答えた:実在したものではない。

眼・耳・鼻・舌・身・意の六根は、あたかも幻術のように、何もない虚空から幻化され現れたものであり、その機能も同様に幻化されて実体がない。この幻化の主は、魔術師のような如来蔵である。諸根が対象とする境界(色・声・香・味・触・法)について、仏は「夢の如し」と言われた。これは夢の中の物と同じで、到底捉えることはできない。夢の中では意識がまだ夢の境界を認識し、夢の中の人や物に触れ、喜びや楽しみ、悲しみや怒りの感覚を生じるが、夢が覚めれば全て消え去り、何も得られない。衆生が「現実」と呼ぶ中で生きる様も、夢の中のように迷いと倒錯に満ちており、あたかも六塵の境界に触れているようであり、あたかも六識の感受があるようであるが、実は全て虚妄である。夢から覚めた後には、全く得られるものはない。衆生はまだ夢から覚めておらず、菩薩は半ば夢の中にあり、完全には目覚めていない。諸仏は既に完全に目覚め、もはや夢の中にはおらず、夢の中の事柄を完全に思い起こすことができる。凡夫の衆生はみな、夢の中で言葉を発しているのである。

——生如法師の開示
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