衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年05月25日    土曜日     第2 回の開示 合計1554回の開示

意根の隠顕は完全に意識の観察の智慧にあります

意識の思量作用は顕在的であり、観察しやすいが、意根の思量作用は隠蔽的で、観察しにくい。これは意識の自己反照力が比較的強く、独頭意識が五俱意識と独頭意識自身の一部の運行様相を観察できるが、全てを観察することはできず、意識が転識得智を成していないためである。仏陀は全てを観察でき、地上の菩薩の道種智は大部分を観察できる。

しかし独頭意識は煩悩の障りを受け、禅定力が不足し、転識得智を成していないため、意根の運行様相を観察できず、従って意根の思量作用が秘奥であると言わざるを得ない。実際、仏陀や転識得智を成就した菩薩にとっては、依然として意根の行相を観察することは容易である。隠顕は完全に意識の観察智慧によるものであり、意根そのものによるものではない。

意根もまた証自証分を有し、微弱な反照能力によって自らの運行様相を観察できるが、意根はこれを表現できず、意識(いわゆる我々)は知ることができない。意識が意根の運行様相を知らない以上、意根の反照力が強弱いずれであるかも、意識は依然として知ることができない。

意識が知覚できない事柄について、多くの人の意識は否定して「存在しない」と言う習慣がある。意識が地球の公転と自転を観察できないからといって、地球が静止していると言うことも可能ではあるが、これは事実に合致しない。一般人の意識はいったいどれほどの事実と真理を観察できるのか。ほとんど観察できず、無明が余りに多く厚く、障りが重すぎる。そして無明が深い者ほど、自らの無知を認めず、自らの判断を信じる傾向があり、これが悩ましい所以である。

——生如法師の開示
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