衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月26日    日曜日     第1開示 合計1556開示

執着の有無は意根の全体心所法の機能作用です

滅尽定に入った阿羅漢は、すでに五陰の我執を滅除している。そうでなければ四果を証得できず、ましてや滅尽定を修得することはできない。阿羅漢が四禅定に至った時点で、すでに五陰の束縛を受けず、生死を自由にし、去るも留まるも自在である。滅尽定を修得すればさらに自在の境地となる。

阿羅漢は初禅定に入った時点で、すでに人我執がなくなり、受・想・思の心所に執着せず、色身にも執着しない。必ずしも受・想の二心所が滅した時にのみ執着しないわけではない。執着の有無は意根の全体としての心所法の機能作用であり、必ずしも受・想・思という個別の心所法の機能作用ではない。法執も同様に、意根全体の心所法の機能作用である。例えば、滅尽定にある意根には作意・触・思の心所法が存在し、これらはすべて法に対する機能作用であり、単独の思心所のみが法執を持つわけではない。

しかしながら、諸仏の意根はすでに法執をことごとく滅尽しており、その意根には五遍行心所法だけでなく、五別境心所法と善十一心所法も具わっている。これほど多くの心所法が存在するにもかかわらず、かえってその執着性は滅尽されている。仏の意根には法執がなく、思心所はなおも絶え間なく運行し、無垢識が意根の思心所を了別し、意根に配合して十方無量の諸仏国土を変現する。実際、如来蔵は意根の全体の心所法を了別することができる。思心所法には択ぶ機能作用があり、如来蔵が了別した後は、意根の選択に従って意根に配合して事を成し、意根が必要とする一切の法を意根に現出させるのである。

——生如法師の開示
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父子合集経選講(四六)

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意識の回想は意根による制御を受ける

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