衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年05月30日    木曜日     第2 回の開示 合計1563回の開示

意根に判断力はあるか?

問:意根に判断力はあるのでしょうか。

答:意根には必ず判断力があります。なぜならそれは「主導識」であり、五蘊身全体の運行を主宰するからです。判断力がなければ五蘊身の身口意行を主宰できず、もはや主導識とは言えません。では誰が主宰するのでしょうか。ただ、判断力の大小や正確性の問題、どの法において判断力が大きく、どの法において小さいかという差異が存在します。意根の了別が明らかな法においては判断力が大きく、了別が明らかであればこそ判断が可能で、迅速かつ正確な判断ができます。意根の了別が不明瞭であれば、判断ができないか、迅速かつ正確な判断ができません。意根が理解できない法に対しては、ためらうか判断を誤ります。そうなると意根の下す決断は盲目で誤ったものとなります。意根の選択が誤れば、六識の実行も誤ります。

しかし世俗法において、衆生の選択が全て誤りで盲目的かと観察すれば、明らかにそうではなく、正確無謬な場合も少なくなく、むしろ多くの場合情理に適っています。これは意根に判断力があり、その判断力も小さくないことを示しています。判断できない状況も存在し、躊躇する状況もあり、誤判する場合も存在します。これは意根本体の智慧と、意根の勝解力に関係があります。

意根の判断は、一方では直接法に依拠して判断します。意根がより慣れた法、より多く経験した法ほど、単独で判断しやすく、重大かつ危急の法ほど単独で迅速に判断し、その後選択を下し、六識が生起して造作します。意根が接触する境界法を勝解できなければ、迅速かつ正確な判断ができません。他方、意根の了別が粗雑であれば、細かな了別には六識の了別に依存し、意識の思惟分析・研究推理・判断を経てから、六識から伝達された情報に基づき、独自に思量判断し、六識が生起して実行します。意根が六識の了別内容や、意識が思惟分析理解判断した内容を勝解できなければ、判断や選択ができず、あるいは誤った判断選択を下し、六識が再び誤って実行します。

一家の主に判断力がなければ、家族は直接に死に至るか、あるいは瀕死状態となり、生き延びることはできません。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経選講(五八)

次の記事 次の記事

仏法の最も精緻なる部分は個人の成就によって悟られます

ページのトップへ戻る