真の念仏三昧は、意識が意根を十分に染めることにより、意根によって成就されるものであり、本心を証得する境地である。この時には定もあり慧もある。修習の全過程において、意識が意根を導き、仏菩薩の形象を念ずることから真の仏菩薩の真如を念ずるに至り、最終的に意根が三昧を成就する。意識は念ぜずして意根が念じ、甚深なる禅定が現前し、その後智慧が生じて、真実の心の自性を証得するのである。
「念ぜずして念ず」とは、意識は念ぜず、意根が念じ、意根が自ずから念じ、意識では制御できないことを指す。この理を理解すれば、如何に工夫して修行すべきか、如何に禅を参究すべきか、如何に思惟観行すべきかを知り、道を証し悟る原理と過程を明らかに知ることができる。
「念じて念ぜず」とは、最終的には完全に意根が仏を念ずるに至るが、しかし意根は意識のように仏を念ずるのではなく、表面的には仏を念ずることができないように見える。実は真に仏を念ずるものもまた仏を念ずるものではなく、口も心もないものである。それは何ものか。参究せよ!
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