衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月01日    土曜日     第2開示 合計1568開示

魚と漁の違い

人に魚を与えるより魚の釣り方を教えよ、とはよく言いますが、魚は何を象徴し、漁は何を意味するのでしょうか。魚は果実そのものを指し、漁はその果実を得る方法を表します。人に魚を与えれば、魚が尽きればそれで終わりです。しかし人に漁を授ければ、根本的な技能を身につけ、尽きることのない果実を得て、将来の衣食に困ることはありません。

漁とは、戒・定・慧の三つの漏れなき学び、すなわち戒律を守ることを通じ、禅定を修めることを通じ、観行参究(観察と実践による探究)を経て、思惟を重ねることで解脱の智慧を得ることを指します。最初の慧は「学びの智慧」であり、学習によって得られた智慧です。最終的には「得た智慧」、つまり観行参究の後に開発される智慧に至ります。これは自らの心の奥底から引き出された智慧であり、自分だけが所有するもので、誰にも奪うことはできません。一方、学びの智慧は、死とともに曖昧になり、跡形もなく消え去ってしまうのです。

最初の戒律がなければ、その次の禅定は得られません。禅定がなければ、観行による智慧は生まれず、観行の智慧がなければ、智慧の魚(真実の智慧の象徴)を得ることはできないのです。

——生如法師の開示
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念じて念ぜずということは、すなわち念仏三昧である

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真の修行は反芻の如し

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