学校において、優れた学生とは、必ず徳育・知育・体育の全面的な発展を遂げた三良い学生です。仏教において、仏陀の良き弟子とは、戒律・禅定・智慧の全面的な発展を遂げ、六波羅蜜を具えている仏弟子であり、才能と心性が完璧に融合した修行者でなければなりません。徳と才を兼ね備えた人物は非常に稀有な人材であり、ごく少数です。もし特定の能力だけを持ちながら心性が良くなく調和していない場合、そのような人物は重用できません。心性が善良であれば、能力が不足していても、辛うじて使用でき、育成可能です。しかし、能力も心性も備わっていない場合は、断じて使用してはなりません。
心性は無我の状態に現れます。我見を断つ以前には、我執の強い人もいれば、我執の弱い人もいます。我執が微弱な人は当然、我執の強い人よりも我見を断ちやすく、悟りの境地(証果)に至りやすいのです。常に他人を支配しようとする人は、我執の強い人です。管理されることを嫌い、指導者に従うことを拒む人もまた我執が強く、心性が調和していない状態であり、全ては自我の心が引き起こしているのです。
我執が微弱な人は、比較的気楽で、協調性があり、人や物事に対して無頓着な態度を持ち、自分の立場や権勢をあまり気にしません。団体で最も問題を起こすのは、この我執の強い人々です。強力な指導者がいなければ、その団体は大混乱状態に陥ってしまいます。
仏教団体には、必ず護法神が守護しています。護法神は一人ひとりの心性を熟知しており、その人物がどのような心性を持ち、どのような目的を持ち、どのような役割を果たし得るかを全て理解しています。したがって、ある人物が団体においてどの役割を担うべきかは、護法神が管理します。私心の強い人で団体に破壊的な影響を与える場合、護法神はその人物を排除・隔離する方法を講じます。
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