衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月05日    水曜日     第2開示 合計1582開示

身見を断つ程度はどのように考察すべきか

世俗界で仏法に触れていない人々の中には、身体は生滅無常の実体ではなく、自らが用いる仮の器に過ぎないと考える者もいます。彼らは身見を断ったのでしょうか? また、衣食住や所用物を気にせず、病があっても意に介さない人々もいます。彼らは身見を断ったのでしょうか? いずれも違います。彼らが身体を顧みないのは、貧困や吝嗇などの因縁による制約、あるいは他の追求に一時的に囚われ色身に構う余裕がないからです。条件が整い次第、彼らは必ず色身を非常に大切にし、貪愛し、色身の享受にこだわるようになります。

身見を断つか否かは包括的な考察が必要です。戒定慧の面から考察し、三十七道品の観点から考察し、心念の面から考察し、心行の面から考察すべきであり、一部分だけで判断してはなりません。身体に関する些事を気にしない人もいますが、それは生活条件が整わないためか、内心の愚痴によるものか、あるいは注意が身体に関連する他の事柄へ移り、別の追求や特殊な目的性を持っているからです。身体のために三悪道の業を造りながらも、自らが持つ物質的生活を放棄しようとしないため、身見を断ったとは言えません。

すべての身口意の行いは種子を形成します。あたかも档案(記録文書)のようであり、神通力を持つ者ならいつでも閲覧できます。この档案は決して消滅せず、業種は消滅し得ます。執着には執着の業種があり、無執着には無執着の業種があります。如来蔵の記録が異なれば、果報も異なります。つまり、同じ行為でも心行が異なれば、如来蔵の記録が異なり、業種が異なり、業報も異なるのです。

(注:主要术语对应) - 断身见 → 身見を断つ - 色身 → 色身(仏教用語としてそのまま) - 戒定慧 → 戒定慧(仏教三学) - 三十七道品 → 三十七道品(菩提分法) - 如来藏 → 如来蔵(tathāgatagarbha) - 三恶道业 → 三悪道の業 - 身口意行 → 身口意の行い - 业种/业报 → 業種/業報 - 档案 → 档案(記録文書の比喩的表現を保持)
——生如法師の開示
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