貪りの範囲は広く、欲界にある法であれば、好きであればすべて貪りである。詩詞歌賦に長けた文豪や、縦横無尽に筆を揮う画家は、ほとんど鬼道へと颯爽と去ってしまう。それらはすべて貪りに属するからであり、ましてや他の方面、情愛などはなおさら貪りであり、鬼道での受生から離れられない。常に馬を描く者は、見事に描き、死後は馬の腹に投生する。常に鬼類の小説を書く者は、極めて巧みに書き、死後は鬼に転生する。頭の中で常に何を考えているかで、死後はそのものと相伴うことになる。画家が馬を描くことに非常に集中し、心が馬と相応すれば、来世には馬に託生する。常に鬼神小説を書く者は、心がすべて鬼神の中に投入され、鬼神と相応し、死後は鬼となる。我々が今、念仏すれば、心が仏と相応し、仏の傍らに出生する。心が善と相応すれば、善道に託生し、心が悪と相応すれば、悪道に託生する。
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