身心は互いに影響し合い、密接に関連し合っており、刹那ごとに互いに牽制し合っています。三つの能変識は刹那ごとに色身を変化させており、色身もまた刹那ごとに識心の覚受や考え方に影響を与えています。
仏陀がおっしゃるには、如来蔵における四大七大は永遠に清浄であり、善でも悪でもありません。それらが衆生を助けてどんな善悪の業を造作しても、如来蔵に戻れば依然として絶対に清浄なのです。衆生は清浄な七大の種子によって構成されていますが、ただ識心の心所法が清浄でないだけです。
修行とは実のところ心所法を修行するのであり、七大の種子を修行するのではなく、識の種子を修行するのでもありません。心所法には明もあれば無明もあり、最初は全て無明ですが、最後には全て明となります。その中間の過程が道を修め心を修める過程です。心所法から衆生の心行を理解することができ、心所法の変化から衆生の修行の程度や心行の転換の程度を理解することができます。意識が変化した後、意根にも変化をもたらせば、身体は即座に変化します。
身心の転換は主に意根の転換の結果です。修行において禅定が現れると、身体は即座に変化します。したがって、禅定は必ず意根に定があることを意味し、意根の心が転換し、もはや色身や境界への執着を深刻にコントロールしなくなった状態なのです。
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