衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月11日    火曜日     第6 回の開示 合計1599回の開示

どのように意根を見つけるのでしょうか

「我…我…我」と心の中で思うとき、まさにその時に意根と呼ばれる「我」を探求すべきです。ここでの「我」は意識と意根の両方を含みます。この二者の本質を分離することで、意根の「我」を見出すことができます。その中でも特に深層に潜み、頑固で決断力があり、容易に諭されないものが意根の「我」です。これは意根の作用する場において意根を探求し、意根を証得する方法です。「我…我…我」と感じる際にここで反省を試みることができますが、これは非常に困難な作業です。

ここでどの部分が意根の「我」であるかを省察します。「我」と発する時、第六意識が認識する「我」と意根が認識する「我」が混在しています。これらを分離して初めて、意根の「我」を証得できるのです。しかしこれは容易ではありません。むしろ主体性を観察する方が迅速です。常に「私は何をすべきか」「私は如何に行動すべきか」と決定を下す主体、つまり意根を探求すればより早く理解できます。

意根を証得する最適な機会は突発的な出来事が発生した時です。自身の反応を観察してください。予期せぬ事態に即座に対応する際、思考を介さずに決定を下す心がまさに意根です。突然性が高ければ高いほど、この反応は意根の働きです。意識は瞬時の対応が不可能で、無始以来の習気と慣性に基づき意根が判断を下し、六識に即座に身口意の行動を起こさせるのです。

例えば突然物体が飛来し衝突しそうになった時、瞬時に身をかわす決定を下す心が意根です。無始以来、意根は色身を我として執着し、色身の状態を常に縁っています。突発事態において色身を守るため即座に反応させるのです。あるいは熱湯が手にかかった瞬間、反射的に手を振るう決定も意根の働きです。意識が熱さを感じる前に、意根が即座に対処を決定し身体を反応させます。手を振るった後に生じる後悔や苦痛の感情こそ、意識の反応なのです。

意根と意識の二つの本質を分離すれば、意根を容易に認識できます。八識をそれぞれ分離し、各識の作用を観察すれば、その機能と本質が明らかになります。七識を分離し尽くした後に残るものが第八識(阿頼耶識)です。このように八識を観行すれば、速やかに証得が可能です。五蘊の虚妄性を観察する場合も同様に、各蘊を分離してその生滅変異を観れば、無常・虚妄・無我であることが理解できます。

意根と意識の二つの本質を分離すれば、意根を容易に認識できます。八識をそれぞれ分離し、各識の作用を観察すれば、その機能と本質が明らかになります。七識を分離し尽くした後に残るものが第八識(阿頼耶識)です。このように八識を観行すれば、速やかに証得が可能です。五蘊の虚妄性を観察する場合も同様に、各蘊を分離してその生滅変異を観れば、無常・虚妄・無我であることが理解できます。

——生如法師の開示
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