衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月13日    木曜日     第3 回の開示 合計1605回の開示

仏法を学ぶにはまず声聞地の修証基礎を固めるべきである

煩悩を降伏させ、心性を高め、聖賢の品格を養うには、四念処観より始め、様々な止観の中より実践せねばなりません。止観の道は長遠にして迅速ならず、全方向全角度より観行を修め、止を修し、自心を降伏させることにより、次第に凡夫の躯を脱し聖骨を具え、内より外まで悉く改新せしめられてこそ、真の聖賢人となり、衆生の導首となるべし。自ら泥濘より足を抜き出でてこそ、有縁の衆生を率い引き上げて泥沼より出づることを得るのです。もし自らすら泥沼より足を抜く力なきならば、どうして他者を泥沼より引き上げることができようか。

仏は説きたまう、全仏法は一仏乗の法なり、二も三もなしと。声聞地の修証は一仏乗法の一部を成し、最も基礎的な部分にして、また極めて重要な部分なり。この中の修行は煩悩を降伏断除し、次第に聖性仏性と相応する過程にて、欠くべからざるものなり。この地固めを堅固にせずして高層建築を建てんとすれば、仮に建ちたるも空中楼閣に等しく、早晩必ず滅すべし。故に一切の菩薩の修行は、堅実に地固めを固め、戒定慧の修行を重んじ、貪瞋痴を勤めて滅却すべく、いたずらにスローガンを高唱しつつ実質なき修行手段あることなく、正修実修と称するべからず。

——生如法師の開示
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