第一章 十三番目の夢の喩え
原文:仏は言われた。「大王よ、譬えば、ある人が眠りの夢の中で、多くの宝のような美女たちと互いに手を執り持って楽しみを共にしたとする。この人が目覚めた後、夢の中で受けた妙なる触れ合いの感覚を思い出し続ける。これは実在することであるか?」浄飯王は答えた。「そうではない」。
解説:仏は言われた:大王よ、譬えばある人が眠りの夢の中で多くの美女たちと共に楽しみを交わし、この人が目覚めた後も、なお絶えず夢の中で感じた妙なる触覚を思い出している。この事は実在するのか?浄飯王は言った:実在する事ではない。この人は夢を見終わって目覚めた後も、なお夢の中の事を実在するかのように思い込み、夢の世界に浸り続け、思い出は絶えず、貪り執着して離れない。この人は智慧がなく、夢が実有ではないこと、真実ではないことを知らず、実在しない偽りの相に惑わされ、虚ろな感覚や感情を追い求めるべきではない。このような迷いと倒錯によって、偽りを真実と見做すべきではない。夢の中の感覚は全て虚妄である。ましてや目覚めてから夢の中の事を思い返すその感覚は、なおさら虚妄である。心の中で思い返す事は存在するのか?すでに存在しない。そうでなければ、思い出とは呼ばれない。例えば、私がさっき食べた物がとても香ばしかったと思い返すが、その食べ物はすでに食べ終わっており、香りは今はもうなく、存在しない。どんなに味わい直そうとも、実際の作用はなく、全く益はない。消えたものは再び戻ってこない。しかも夢は過ぎ去った現実の境界よりもさらに虚ろである。思い返すことは、ただ心の貪着と未練を示すだけで、益のない虚ろな想像に浸り、貴重な時間と精力を無駄に消耗するだけである。また、例えば私たちが誰かの言った言葉を思い返す時、その思い出の中の言葉は今も私たちの耳元にあるだろうか?耳元には音声はなく、過ぎ去った音声、言われた言葉は、今という時点では存在せず、何の作用もない。もし再びそれらの音声に執着して放さず、こだわり続けるならば、それは幻想の上にさらに幻想を重ねるようなものである。音声が存在するその瞬間でさえ虚妄である。ましてやすでに消え去ったものは、なおさら虚妄で実体がない。過ぎ去った六境(六塵)の境界は、もしまだ作用があると言うならば、それは実は心の中に生じた虚妄の分別と思惟・想像であり、心が再び虚妄の感覚や執着の情緒を生み出しているに過ぎない。実際にはもはや作用はなく、過ぎ去ったものは過ぎ去ったのである。執着して放さないことは、ただ煩悩を増すだけに過ぎない。衆生は日常生活の中で、六境のあらゆる現象に対する感覚を、皆とても真実であると感じている。しかし、それらの感覚は本当に真実なのか?どれも真実ではなく、まるで幻の花や影法師のようなものである。
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