衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月14日    金曜日     第5 回の開示 合計1611回の開示

人間性は本来善なのか、それとも悪なのか

人間の根本的な性質とは、人が先天的に備える心性を指します。一つは末那識の心性、もう一つは如来蔵の性質です。後天的に薫習を受ける本性こそが意識の心性です。人間性の根本を五蘊の面から見るならば末那識に、全体として見るならば如来蔵に求めなければなりません。人の心性の現れを見るには末那識を見るべきであり、末那識は根本であり、意識は枝葉です。意識という枝葉が繁茂して末那識の根本を覆い隠すことはあっても、意識の枝葉はやがて枯れ落ちる時が来ます。その時こそ末那識の根本が完全に露わになるのです。

五蘊の面からは末那識の心性を見、本質的には如来蔵の心性を見るべきですが、一般的には五蘊の心性を見るものです。末那識が無始劫以来どのような性質であるかが、そのまま人間性の性質となります。末那識がどのような心性であるかが、人間性の心性となるのです。これは畜生がどのような心性であるか、鬼神がどのような心性であるか、阿修羅がどのような心性であるか、天人(てんにん)がどのような心性であるか、さらには阿羅漢がどのような心性であるか、辟支仏がどのような心性であるか、菩薩がどのような心性であるか、仏がどのような心性であるかにまで及びます。末那識よりもさらに根本的なものは真実の心である如来蔵の心性です。ゆえに人間性の本来性とは如来蔵性に他なりません。

——生如法師の開示
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