衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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仏道無上誓願成

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日常開示

2019年06月15日    土曜日     第1 回の開示 合計1613回の開示

種々の境と相分の関係

本質境は、すべての如来蔵がそれぞれ四大種を出力し、共通の四大を形成し、すべての如来蔵が共同でこの四大を用いて造り出した宇宙器世間と六塵境界であり、如来蔵のみが縁を得て見ることができるものである。この部分の相分は最も実在的な相分である。

帯質境は、単一の如来蔵が本質境を縁とした後、本質境の四大微粒子を吸収して顕現した六塵境界であり、鏡中の像の如く、本質境の四大微粒子を帯びつつも本質境とは大きく異なり、本質境と比較すればより虚妄的である。この部分の相分は、如来蔵が本質境に触れる刹那に相似相分を変起させてから、五根あるいは五勝義根に入る前までの相分を含む。

これらの相分は伝導過程において、四大微粒子が中間媒体による濾過と吸収を受け、不断に濾過除去されるため、帯質境の相分は次第に微細化し、本質境との差異が拡大するが、依然として本質境との関連性は比較的大きく、相貌も相似している。この部分の相分は、如来蔵が能見能縁する他に、意根が如来蔵に随って能見能縁することができる。

意根は勝義根に入る前の帯質境を縁として見ることができるため、帯質境に対して一定の了別性を有し、相応に帯質境の大略的な性質と意義を知ることができ、五遍行心所法が現前して運作する。自身の安危に関わる帯質境に対しては迅速な抉擇力を発揮する。この抉擇を如来蔵が感知すると、帯質境が勝義根に入って性境を形成する際、六根が六塵に触れる時に極めて迅速に六識を出生させて対応し、意識の分析・思惟・推論・判断の機会なく即座に反応する。意識と五識は意根の配分と命令に従うのみで、自らの判断を要せずに反応対応し、事後に初めて思惟分析推理判断を起して自らの行動と発生した事態を認識する。これが意根が突発事態に迅速に対応する所以である。

性境は、帯質境が五浮塵根を通過して勝義根に入った時、勝義根内に顕現する六塵境界であり、帯質境に相似するため性境と呼ばれ、帯質境とも一定の差異を有する。帯質境は伝導過程において五根の濾過を受け、四大微粒子が一定の変化を生じる可能性があり、性境を更に微細かつ不実・虚妄なものとする。

独影境は性境と大きく異なり、帯質境との差異は更に大きく、本質境とは極めて異なる。意根の攀縁によって発起され、無より生じ、意識が意根の妄想を処理・補完し、細部を描画・添加し、非量の想像力を用いて更に精緻な妄想機能を発揮し、境界を活現化させるに至る。この部分には五識は関与できず、完全に意識が意根に配合して完成する。この時の意識を独頭意識と呼び、単独で妄想作業を行い情景を構築する。

外六入外六塵とは、勝義根の外側にあり未だ勝義根に入っていない六塵相分を指し、帯質境に相当する。意根によって縁とされ、六識は縁することも見ることもできない。六識が了別できないため内相分に属さず、勝義根外の六塵として外六塵と呼ばれる。

内六塵とは勝義根内の性境を指し、意根が能縁能見するのみならず六識も能縁能見する。当然第八識は更に能縁能見し、一切の法がどの段階にあろうとも第八識如来蔵の顕現と執持によるものであるため、如来蔵こそが真に能縁能見するのであり、これなくして如何なる法も出生存在し得ない。

——生如法師の開示
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