衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年06月17日    月曜日     第4開示 合計1624開示

受は我と異なる真実の義

雑阿含経巻五原文:「如何にして受即ち我なりと見るか。謂く六受身――眼触によりて生ずる受、耳・鼻・舌・身・意の触によりて生ずる受なり。この六受身の一つ一つを我なりと見做し、我は受なりと為す。これを名づけて受即ち我なりと為す。如何にして受は我に異なりと見るか。謂く色は我なりと見做し、受は我の所有なりと為す。謂く想・行・識は我なりと見做し、受は我の所有なりと為す。これを名づけて受は我に異なりと為す。

「如何にして我の中に受ありと見るか。謂く色は我なりと見做せば、受は其の中にあり。想・行・識は我なりと見做せば、受は其の中にあり。如何にして受の中に我ありと見るか。謂く色は我なりと見做し、受の中に住し、其の四体に周遍す。想・行・識は我なりと見做し、受の中に住し、其の四体に周遍す。これを名づけて受の中に我ありと為す。

釈:如何なるか受薀は我なりとするや。受薀とは即ち六受身なり:眼根が色塵に触れて眼識を生じ、眼識に受あり。耳根が声塵に触れて耳識を生じ、耳識に受あり。鼻根が香塵に触れて鼻識を生じ、鼻識に受あり。舌根が味塵に触れて舌識を生じ、舌識に受あり。意根が法塵に触れて意識を生じ、意識に受あり。意根はこの六つの受を悉く我なりと見做し、我(意根)は即ち受なりと為す。これを名づけて受即ち我(意根)なりと為す。

如何なるか見受は我に異なりとするや。即ち意根は色薀は我なりと見做せば、然る後に受薀は我の所有なりと為す。意根が想薀・行薀・識薀を我と見做せば、受薀を我の所有なりと為す。これを名づけて受は我に異なりと為す。

何が我(意根)の中に受ありとするや。即ち意根は色薀は我なりと見做せば、受薀は色薀の中にあり。意根は想薀・行薀・識薀は我なりと見做せば、受薀は想薀・行薀・識薀の中にある。受薀は即ち我の所有するものなり。

何が受の中に我ありとするや。即ち意根は色薀は我なりと見做せば、色薀は受薀の中に住し、我は受薀の中に住し、受薀は四肢全身に遍く行き渡る。意根は想・行・識薀は我なりと見做せば、想・行・識薀は受薀の中に住し、我は受薀の中に住し、我は身体全身に遍く行き渡る。これを名づけて受の中に我ありと為す。

——生如法師の開示
前へ前へ

『雑阿含経』巻第五──一〇九

次へ 次へ

想薀・行薀は我に異なる真実の義である

ページトップへ戻る