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日常開示

2019年06月17日    月曜日     第5 回の開示 合計1625回の開示

想薀・行薀は我に異なる真実の義である

雑阿含経巻第五の原文:「如何にして想即ち我なりと見るか。六想身を謂う——眼触れて想い生じ、耳・鼻・舌・身・意触れて想い生ず。此の六想身を一々我なりと見る、是を想即ち我なりと名づく。如何にして想我に異なると見るか。色は我なりと見、想は我が所有なりとし、識は我なりとし、想は我が所有なりとする、是を想我に異なると名づく。

「如何にして我中に想あると見るか。色は我なりとし、想は中に住す、受・行・識は我なりとし、想は中に住す。如何にして想中に我あると見るか。色は我なりとし、想の中に住し、其の四体に周遍す、是を想中に我ありと名づく。

「如何にして行即ち我なりと見るか。六思身を謂う——眼触れて思い生じ、耳・鼻・舌・身意触れて思い生ず。此の六思身を一々我なりと見る、是を行即ち我なりと名づく。如何にして行我に異なると見るか。色は我なりとし、行は我が所有なりとす。受・想・識は我なりとし、行は我が所有なりとする、是を行我に異なると名づく。

「如何にして我中に行あると見るか。色は我なりとし、行は中に住す。受・想・行・識は我なりとし、行は中に住す、是を我中に行ありと謂う。如何にして行中に我あると見るか。色は我なりとし、行の中に住し、其の四体に周遍す。受・想・識は我なりとし、行の中に住し、其の四体に周遍す、是を行中に我ありと名づく。

釈:如何にして想薀を我なりと見るか。想薀とは六想身なり——眼根色塵に触れて眼識生じ、眼識に想あり。耳根声塵に触れて耳識生じ、耳識に想あり。鼻根香塵に触れて鼻識生じ、鼻識に想あり。舌根味塵に触れて舌識生じ、舌識に想あり。意根法塵に触れて意識生じ、意識に想あり。意根此の六つの想を全て我と見做し、我(意根)即ち想なりと認む、是を想即ち我(意根)なりと称す。

如何にして想我に異なると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、想薀を我が所有なりとす。意根は受薀・行薀・識薀を我と見做せば、想薀を我が所有なりとす。是を想我に異なると称す。

何を我(意根)中に想あると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、想薀は色薀の中に在り。意根は受薀・行薀・識薀を我なりとすれば、想薀は受薀・行薀・識薀の中に在り。想薀は即ち我が所有なり。

何を想中に我あると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、色薀は想薀の中に住し、我は想薀の中に住す。想薀は四肢全身に周遍す。意根は受・行・識薀を我なりとし、受・行・識薀は想薀の中に住し、我は想薀の中に住す。我は身体全体に周遍す、是を想中に我ありと称す。

如何にして行薀を我なりと見るか。行薀とは六思身なり——眼根色塵に触れて眼識生じ、眼識に思あり。耳根声塵に触れて耳識生じ、耳識に思あり。鼻根香塵に触れて鼻識生じ、鼻識に思あり。舌根味塵に触れて舌識生じ、舌識に思あり。意根法塵に触れて意識生じ、意識に思あり。意根此の六つの思を全て我と見做し、我(意根)即ち思なりと認む、是を行即ち我(意根)なりと称す。

如何にして行我に異なると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、行薀を我が所有なりとす。意根は受薀・想薀・識薀を我と見做せば、行薀を我が所有なりとす。是を行我に異なると称す。

何を我(意根)中に行あると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、行薀は色薀の中に在り。意根は受薀・想薀・識薀を我なりとすれば、行薀は受薀・想薀・識薀の中に在り。行薀は即ち我が所有なり。

何を行中に我あると見るか。即ち意根は色薀を我なりとし、色薀は行薀の中に住し、我は行薀の中に住す。行薀は四肢全身に周遍す。意根は受・想・識薀を我なりとし、受・想・識薀は行薀の中に住し、我は行薀の中に住す。我は身体全体に周遍す、是を行中に我ありと称す。

——生如法師の開示
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