無始劫以来、意根は常に五蘊十八界に執着してきた。なぜ執着するのか? 意根がこれらの法こそが我であり、我の所有であると認識するからこそ、執着が生じるのである。もし意根がこれらの法を我や我の所有と認識しなければ、もはや執着することはない。なぜなら、執着は無益であり、貪着も無益であり、掴むことができず、空・苦・幻化・不実であると理解するからである。この理を証得すれば、次第に執着を緩め、ますます自在と解脱を得るようになる。初果で五蘊無我を証得すると、法眼浄を得る。心眼が清らかになり始め、見が清らかであれば行も清らかになる。煩悩が断じ尽くされた時、行は最も清浄となる。
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