衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月19日    水曜日     第1 回の開示 合計1628回の開示

慢心の害悪

多くの人は褒め言葉と非難に耐えられないが、その根本原因は我執にあり、そこから慢心が生じる。第三果・第四果に至る前の修行者には誰しも慢心がある。ただ因縁が具わらない時は、慢心が随眠として潜在している。因縁が現前する時が来れば、慢心は必ず顕現する。これはほぼ全ての人が経る段階であり、ただ時間の長短と深浅が異なるだけである。

最も卑下していた者が、一旦権勢を得ると往々にして最も傲慢になる。卑下や劣等感もまた慢心・我執の一形態であり、我執がなければ劣等感も生じない。故に劣等感の深さはそのまま慢心の深さに比例する。

ほとんどの慢心は世俗的な事柄に現れる。例えば富貴によって慢心を抱く者、地位によって慢心する者、権勢を恃む者、容貌を自慢する者、良縁に恵まれた家族を誇る者、経験を鼻にかける者、特殊技能を過信する者、才智を過信する者、色身を依り代とする者、智慧を自負する者など多様である。これら様々な慢心は、全て我執と我所執が内在し、身見・我見が深いことによって引き起こされる。

慢心は最も悟道を妨げ、魔境に陥りやすい。自らの顔のあばたに気付かぬ者が、他人の顔を凝視し日々検証するのは、内心に自他の分別が存在するためである。

——生如法師の開示
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