衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月25日    火曜日     第1開示 合計1637開示

禅定が深まるにつれ、意根の作用が顕著になる

問:禅定が深まるにつれて、呼吸は遅く浅くなり、呼吸の間隔は長くなるのでしょうか?また最近、教義を観行で思惟していると、観行の途中で言語や文字がなくなり、詰まってしまうことがよくあります。前の思惟内容と繋がらないように感じます。

答:禅定が次第に深まると、末那識は禅定の状態にあるため、身体への制御を緩め、呼吸もあまり制御しなくなります。呼吸への執着が薄れるにつれ、呼吸はますます微細で穏やかになり、呼吸時間が長くなり、中間で止まったかのように感じられます。これが呼吸の間隔が短いと誤解される原因です。呼吸が微細であるため、呼吸が途切れそうだと錯覚しますが、実際には一呼吸にかかる時間が長くなり、非常に緩慢になっているのです。呼吸は非常に遅く、非常に軽く、非常に深く感じられます。呼吸が途切れそうに感じられるのは四禅定でこそ呼吸が止まりますが、四禅以前では依然として呼吸は存在し、ただ途切れそうに感じられる可能性があるだけです。呼吸の間隔が長くなると、思惟も途切れがちになります。思惟が極めて緩慢になり、疲労を感じ、心を空にする方が楽に感じられます。

禅定の中で思惟する際に定が深まると、末那識は何らかの法に縁取ることを好まなくなり、意識の活動は非常に緩慢になります。意識が滅しそうに感じられると、音声や文字を伴う思考を余計で煩わしく感じるようになります。心の作用がますます緩慢になると、問題を考えたくなくなり、妄念も少なくなります。妄念が生じても疲れるだけです。意識が作為を離れると、末那識の作用が顕著に現れます。なぜなら意識の思惟が活発な時は、末那識の作用が覆い隠されるからです。禅定が深まると末那識の作用が前面に出て、この時こころに言語や文字がないことに気づきます。しかし意識に言語や文字がなくても、末那識が現れても、やはり言語や文字は存在しません。この時、末那識の作用が非常に顕著かつ明瞭になるのです。

——生如法師の開示
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