問:俱解脱の阿羅漢は、意根を滅ぼして五蘊十八界を消失させる能力を有しています。では、俱解脱阿羅漢が意根を滅ぼした後、再び如来蔵から意根が生じる可能性はあるのでしょうか。もし可能であるならば、意根には始まりの点が存在することになりませんか。
答:無余涅槃に入った後、再び出生する際には、意根には当然始まりの点が存在することになります。無余涅槃以前には始まりの点は存在しません。無始劫以前より心に一念の無明が存在していたため、意根を滅ぼすことができなかったのです。
無余涅槃に入る時、意根が滅びるのは誰が意根を滅ぼすのか、意根を滅する者が存在するのでしょうか。もし存在するならば、依然として我あり、作主者が存在することになります。涅槃に臨む際、もし意根が「我は自らを滅ぼそう」と念じるならば、この心念は執着を断ち切っておらず、無余涅槃に入ることはできません。もし如来蔵が意根を滅ぼすならば、如来蔵に作主性が存在することになり、七識の如き我性を有することになり、無我性の如来蔵ではなくなります。意根が万念灰燼に帰し、心所法が一切現れなくなった時、如来蔵は如何ともし難く、もはや種子を輸送することができず、初めて意根が自我を消失させるのです。
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