意根には言語文字がなく、心の働きは隠微で深遠であり、意識のような明らかな推論や推測、思考分析、想像や幻想などの作用はありません。しかし、意根が主体として決断する力は依然としてかなり顕著です。定力が不足している時は智慧も不足し、心が粗雑になるため、意根の作用がどれほど明らかでも観察できません。
例えば、嘘をつくのが好きな人には往々にして二つの意図があります。一つは表面で作用しており比較的明らかで、もう一つは背後に隠れてひそかに作用しています。その人の真の意図は背後にあるものであり、表面にあるものではありません。表面のものは単にカモフラージュの役割を果たし、陽動して注意をそらし、背後にあるものは隠されて容易には露見せず、人に知られないようにしています。背後にあるものを見つければ、意根を見つけたことになります。意根はその人の本質的な品性を表し、人柄や人格を代表する重要な役割を果たします。
多くの人は人前では二つの心の声を持っています。一つは人に見られ、人に評価されるために表に出る声、もう一つは人に知られたくない、故意に隠された本質的な声です。人目を離れて独りでいる時、迷いが生じるときにも、二つの意見、二つの考え、二つの打算、二つの心の働きがあり、それらが統一されないため内戦が始まります。もし決着がつかなければ、長期にわたる内戦となり、そうなると心の崩壊や精神分裂を免れず、身体に潜在的な問題が現れます。心と身体は互いに影響し合い、牽制し合っているのです。
唯識とはつまり心理学です。唯識をよく学べば、微細な点から全体を察知することができ、人の心理を観察することは難しくありません。ただし、人を知る際には、軽率に口に出さないようにし、面倒や人間関係の悪化を避けるべきです。正直な心を持つ人は思ったことを直接口にし、遠回しな言い方や複雑な駆け引きはしません。心が曲がっている人は考えを隠して直接言わず、人を回り道させ、混乱させた後で自分が仕掛けた罠に導き、自分の目的を達成しようとします。
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