もし未到地定によって初果を証得すれば、その時一切の悪趣に赴くべき悪戒の種子はことごとく永く害され、これを聖者の愛する戒と名づく。
ここに明確に説かれているように、初果を証得する時には必ず未到地定があり、証果の後において三悪道の業種は断たれ、再び生じない。悪道に赴く業を造作しなくなった時、これを聖人たちの喜ぶ戒行という。
もし未到地定が具足せず、あるいは未到地定がなければ、実際に五蘊を観行することができず、真に五蘊の我を否定することができない。五蘊の我という知見が断たれなければ、証果することはできない。意識心が五蘊は無我であると考えるのは、あくまで知解に属するものであり、証得したと確信して初めて知見の結縛を断つことができる。
禅定は意根と緊密に結びついている。禅定があれば、意根は煩悩妄想に覆われることなく、六識の絶え間ない分別に妨げられることなく、精進して修行に励み、証果して真理を明らかにすることができる。
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