意根が五蘊を我と認めず、五蘊に執着しないとしても、意根は自らに執着するのでしょうか。意根は自らを我として実在とし、自己の主体性への執着を捨てず、これが意根の証自証分の機能作用です。この知見も断じ除いてこそ、真の我見断ちとなります。故に観行によって我見を断つ際には、意根が我ではないことを観じ、十八界の非我の中に意根一界を含めて断除してこそ、真実の我見断ちと言えるのです。
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