ほぼ百パーセントの人は、末那識の状態を意識の状態と取り違えている。そのため、真の末那識の特性を説く者がいると、末那識と意識を逆転させていると言われる。しかし実際には、百パーセント、いや九十九パーセント以上の者が取り違えているのである。これらすべての人はあらゆる煩悩を具足し、無明の煩悩が覆い障っているがゆえに、転識得智していないため、末那識の現行作用を眼前に観察することができず、当然ながら百パーセント誤解するのである。いつの時代であれ、大多数の者が高智商で煩悩の覆いがなく、ごく一部の者が低智商で仏法を誤解するなどということはありえない。娑婆世界で誤りを犯すのは常に大多数の者であり、智慧のない者も依然として大多数である。大多数の者が転識得智して妙観察智を得るなど、百に一つもありえない。したがって、自分で賢いと思い込んでいる者は、あまり自信を持たず、ましてや誹謗などせず、深刻な結果を招かないよう気をつけるのが最善である。
末那識のすべての内容は唯識種智の範疇に属し、唯識に関するすべての内容も同様に唯識種智の範疇に属する。各識の心所法はなおさらである。初地以上の菩薩でない限り、静かに沈黙を保ち、至る所で説いたり論じたりしないのが最善である。現量観行の智慧を具えていないため、末那識の具体的な運行状態を眼前に観察することは不可能であり、説かれる内容の多くは想像や憶測に過ぎず、往々にして取り違えが生じるからである。娑婆世界の仏法修行者の多くは概ねこのような状態であり、多くの者が転識得智して妙観察智や平等性智を得ることは不可能である。このような智慧がなければ、黙々と修行に励み、一日も早く初禅定を修得し、煩悩の覆いを断じ切り、様々な観行の智慧を修得して、速やかに如来の家に入り、その後、禅定の中で現量をもって末那識の運行を観行し、大衆を導いて末那識の問題を解決し、唯識の智慧を増長させるべきである。
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