問:無余涅槃とは、誰が意根を滅したのか?
答:涅槃に臨む時、十七界が滅尽し、意根は自ずと消失する。意根を滅する能い者はいない。もし意根を滅する能い者がいるとすれば、それはまだ我が存在することになり、我があれば無余涅槃に入ることはできない。無我であってこそ滅度を得るのである。また「能」があるとすれば、その能が即ち我であり、「所」が即ち我所である。意根を我所とする者はいない。能もなく所もない状態こそが滅度を得るのであり、能も所もある状態では滅度は得られない。
滅度とは、意根が自らを滅ぼそうと望んで滅ぶわけでもなく、意根が滅ぼされたわけでもない。それは、意根がいかなる法にも執着せず、いかなる法に対しても欲を持たなくなるためである。意根が造作を欲せず、希求するものもないため、意根の思心所が現れず、如来蔵もまた造作をなさず、法を出生しなくなる。そうして一つひとつの法が消失していき、ついに如来蔵が意根に何の心行もないことを見て、意根の識の種子を出力しなくなると、意根は自然に滅するのである。
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