賊を父と見なすのは、意根が認識することである。では、どれが賊なのか。六識の機能作用が賊である。では、どれが父なのか。自我と所有物(我と我所)が父である。六識の生滅無常の変異性を、意根が理解していないため、六識の機能を自らの機能作用と見なし、それによって執着して捨てず、貪り執着し続ける。どうすればよいか。まず、身体の中に生滅しない真実の心(不生不滅の真心)が存在することを認め、次に六識・五蘊の苦・空・無常・無我の性質、生滅変異性、不可得性を観察し、さらに六根・六塵の生滅無常・無我の性質を観察してこそ、賊を滅することができ、心の中に賊がいなくなり、賊への執着と貪愛を断ち切り、解脱を得るのである。
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