問:阿羅漢が無余涅槃に入った後、無余涅槃は三昧の境界と言えるのでしょうか。
答:三昧の境界には主体となるべき存在があり、三昧の境界に入る者がいれば、将来必ず三昧の境界から出る者がいます。しかし涅槃には主体が存在せず、涅槃に入る者もいません。阿羅漢の五蘊十八界が完全に滅尽し、意根も滅尽したなら、もはや阿羅漢は存在しません。無余涅槃に入る者がいない以上、無余涅槃から出る者もいないため、無余涅槃は三昧の境界に属さないと言えるのです。
出入りを伴う法は生滅変異の法であり、常住の法ではありません。従って第八識も無余涅槃に入らず、無余涅槃から出ることもありません。第八識は無余涅槃の内にも外にも存在せず、無余涅槃と一でも異でもないのです。
第八識は世俗に捨てられた法であり、世俗の一切の法と伴侶となることはありません。世俗の法である五蘊十八界が滅び去った後も、第八識はそれに従って滅び去ることなく安らかに独立して存在します。それ故に無余涅槃が存在するのであり、そうでなければ五蘊十八界が滅び去った後は一切が終わり、何も存在せず、来世も再来世もなくなってしまいます。五蘊十八界が生じた後も、第八識はそれに従って生じることはなく、元来から存在し、現成のものであり、生じる必要がないのです。
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