出家した沙弥が出家した老和尚を嘲笑えば、それほどの悪報を受けるのであるならば、在家の者が出家者を嘲笑えば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。在家の者が説法する出家者を嘲笑えば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。在家の者が説法する出家者を誹謗すれば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。在家の者が悟りを得た出家者を嘲笑えば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。在家の者が悟りを得た出家者の説法を嘲笑えば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。在家の者が悟りを得た出家者の説法を誹謗すれば、どのような悪報を受けるべきでしょうか。
因果は一般人が推し量れるものではありません。もし慢心を持ち他人を嘲笑うことを好む者がいれば、相手が誰であれ悪報を受けます。もし嘘をついて他人を欺くことを好み、東を西と言い西を東と言い、妄言綺語を弄する者がいれば、正しからざる説をなす者であり、相手が誰であれ悪報を受けます。もし(父母師長を除き)尊卑長幼の別なく他人を叱責し、自らの聪明さを誇示する者がいれば、これもまた悪報を受けます。
要するに、身口意の十不善業は全て悪報を招きます。故に仏法を学ぶ者は因果を理解し、戒律を守り、身口意の行いを護り、善悪の区別を識別し、悪を断ち善を修める努力をすべきです。心性が転じ聖賢の心性に近づいてこそ、初めて聖賢となる機縁を得られます。聖賢となる前提条件は、聖賢に近い心性を備えてこそ、聖賢となる資格を得るのです。
仏のような徳を備えれば、完全に阿羅漢聖者を焦芽敗種と言い得ますが、阿羅漢の修証に及ばない者は、いかなる者であれこれを口にしてはならず、口にすれば必ず悪報を受けます。凡夫の善根は阿羅漢の一毛にも及ばず、阿羅漢を焦芽敗種と誹謗する資格は全くなく、証拠があろうが事実であろうが必ず悪報を受けます。在家の者が普通の出家者を非難しても同様に悪報を受けます。徳高い者は徳低き者を戒め得、戒律ある者は戒律なき者を戒め得、先に戒を受けた者は後に戒を受けた者を戒め得ます。戒とは即ち徳であり、出家戒を持つことは徳であり、菩薩戒を持つことは徳であり、敢えて出家することは徳であり、世俗を捨て出家できることは徳です。修証あることは更なる徳であり、修証が高ければ徳も高く、徳低き者はこれを非難できず、徳なき者は尚更これを非難できません。さもなければ悪報軽からず。
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