衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年07月17日    水曜日     第2開示 合計1699開示

想像と推理は実証に等しくありません

例えば白骨観を挙げると、想像によって生じた白骨は意識心の思惟分析作用によるものであり、白骨的定果色が現れることはなく、三昧の成就もない。したがって虚妄の中の虚妄である。自ずと自覚的に現前する白骨は、意根と意識が同時に証見するものであり、定果色が現れている。これは三昧の境界であり、これもまた虚妄ではあるが、想像によるものよりははるかに真実味がある。

意根が自ら証得した法には一定の真実性があるが、意識が推理推論によって導き出した法に真実性はなく、したがって身心世界にほとんど影響を与えず、以前の状態と大差ない。修行の過程と結果はいずれも身心世界を変化させることを目的としており、無始劫以来初めて仏法に遇い、信受して修行を始めた時点で、身心世界は変容を開始する。真に我見を断って初めて明らかな転換点となり、三果に至ると変化はさらに大きくなる。その後は順を追って絶え間なく変化を続け、ついに成仏に至り三十二相が現れることで身心世界の転変は終結し、もはや変化することはない。

身心の転変はすべて意根によって促されるものであり、意根がどれだけ証得したかによって変化の度合いが決まる。証果を得ず我見を断つ以前の三十七道品の実修過程においても、身心は少しずつ変容を始めている。仏法を真に信じながらも本格的な修行に入っていない段階で、身心にある程度の変化が生じる者もおり、年ごとに変化が現れ、ついには縁ある周囲の人々にも影響を与えて仏法を信じさせるに至る場合もある。一部の者が主張するように、三果を証得する時になって初めて身心が変化し始めるわけではない。

三尺の氷は一日の寒さでできるものではなく、長年積もった堅い氷も同様に一日や刹那の中で解けるものではない。衆生の身心における明らかな転換は我見を断つことから始まり、三果の段階では初禅定によって煩悩が断たれ、身心の転変が比較的大きく、前後で明らかな差異が現れる。

——生如法師の開示
前へ前へ

大乗顕識経(四一)

次へ 次へ

大乗顕識経(四七)

ページトップへ戻る